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慶州五陵
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年8月26日 (土)
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- | + | '''慶州五陵'''は韓国慶尚北道[[慶州市]]塔洞にある[[新羅]]初代国王の赫居世王などの[[朝鮮の陵墓|陵墓]]。赫居世王の他、その王妃閼英夫人、2南解王、3儒理王、5婆娑王の王陵とされている。『三国史記』は、赫居世王は西暦4年3月に崩御し、蛇陵に埋葬され、蛇陵は[[曇厳寺]]の北にあると記す。『三国遺事』によると赫居世王が崩御して天に昇った7日後に王の遺体が散って降ってきた。人々はそれを埋葬しようとしたが大蛇に妨害されたので5カ所に分けて埋葬した。そのために'''五陵'''、または'''蛇陵'''という。'''新羅五陵'''。[[李氏朝鮮]]時代も享祀の対象となった。[[崇徳殿]]が付属する。 | |
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2023年8月26日 (土) 時点における最新版
慶州五陵は韓国慶尚北道慶州市塔洞にある新羅初代国王の赫居世王などの陵墓。赫居世王の他、その王妃閼英夫人、2南解王、3儒理王、5婆娑王の王陵とされている。『三国史記』は、赫居世王は西暦4年3月に崩御し、蛇陵に埋葬され、蛇陵は曇厳寺の北にあると記す。『三国遺事』によると赫居世王が崩御して天に昇った7日後に王の遺体が散って降ってきた。人々はそれを埋葬しようとしたが大蛇に妨害されたので5カ所に分けて埋葬した。そのために五陵、または蛇陵という。新羅五陵。李氏朝鮮時代も享祀の対象となった。崇徳殿が付属する。