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慶陽北石窟寺院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2016年10月25日 (火)
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- | 寺〓川の岸にあり、北魏から北周、隋唐にかけて作られ、295窟が現存。塑像2100体が残る。北魏の永平2年(509)、 | + | 寺〓川の岸にあり、北魏から北周、隋唐にかけて作られ、295窟が現存。塑像2100体が残る。北魏の永平2年(509)、 涇川刺史の奚康生が建造した。翌年、奚は[[涇川南石窟寺院]]も開創した。 |
最大の第165窟は高さ14m、幅21.7m、奥行き17.9mの大洞窟。 | 最大の第165窟は高さ14m、幅21.7m、奥行き17.9mの大洞窟。 |
2016年10月25日 (火) 時点における最新版
慶陽北石窟寺院(けいよう・ほく・せっくつ・じいん)は、甘粛省慶陽市西峰区にある仏教の石窟寺院。
寺〓川の岸にあり、北魏から北周、隋唐にかけて作られ、295窟が現存。塑像2100体が残る。北魏の永平2年(509)、 涇川刺史の奚康生が建造した。翌年、奚は涇川南石窟寺院も開創した。
最大の第165窟は高さ14m、幅21.7m、奥行き17.9mの大洞窟。 洞内には8.1mの大仏7体、4mの脇侍菩薩10体など、巨大な像が並ぶ。
参考文献
- 鎌田茂雄『仏教の来た道』