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手向山八幡宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
手向山八幡宮
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'''手向山八幡宮'''(たむけやま・はちまんぐう)は、奈良県奈良市にある[[東大寺]]鎮守の[[八幡宮]]。祭神は品陀別命・足仲彦命・息長帯姫命・比売大神(国史大辞典)。[[国分寺]]・国府・東大寺関連施設の鎮守として各地に分霊された。[[東大寺関連旧跡]]も参照。[[県社]]。'''手向山神社'''。'''東大寺八幡宮'''。 == 歴史 == [[宇佐神宮]]の分霊を奉じた神輿は天平勝宝元年(749)12月18日、平群郡から入京。[[梨原宮]]に奉安された。そして東大寺に入り、鏡池の東側、東塔の西側に鎮座した。その後、治承4年(1180)12月の南都焼討で焼失。嘉禎3年(1237)10月、千手院跡の現在地に遷された。大勧進[[行勇]]が復興した。鎌倉時代の復興の時、快慶作の僧形八幡神像を御神体とした。 江戸時代、元和8年(1622)、細川忠興が300石を寄進し、修造。 寛永19年(1642)11月27日大火で焼失。その後、万治元年(1658)に仮殿が建てられ、元禄4年(1691)8月26日に大勧進[[公慶]]により再建されたのが現在の社殿だという。東大寺転害門(佐保路門)を御旅所とした転害会(手掻会、碾磑会)は天文8年(1539)まで勅祭として行われていた。その後は東大寺や住民で行われている。元は9月3日だったが現在は10月5日。(国史大辞典、日本歴史地名大系) [[Category:奈良県]]
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