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摂津・清澄寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
摂津・清澄寺
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'''清澄寺'''(せいちょうじ)は、兵庫県宝塚市米谷にある[[真言宗]]寺院。本尊は[[大日如来]]。[[真言三宝宗]]大本山。鎮守の[[清澄寺荒神社|荒神社]]が信仰を集め、'''清荒神'''として知られる。山号は蓬莱山。 == 歴史 == 893年(寛平5年)、[[宇多天皇]]が夢告を得て、勅願で天台座主増命を開山として創建。896年(寛平8年)の落慶の導師は[[東寺]]の益信が務めたという。1172年(承安2年)、清澄寺の尊恵という僧が死に、冥界に行って[[閻魔大王]]に謁見したが、[[法華経]]持経の功徳と、[[平清盛]]が天台宗護持するため再誕した[[良源]]の化身であることを伝えるために蘇生を許されたという。1183年(寿永2年)焼失。建久年間、[[源頼朝]]が再興したという。1231年(寛喜3年)、[[円満院門跡]]の法円法親王が有馬温泉への湯治に向かう途中、清澄寺で客死している。 当初は現在地の東方にある「旧清」(もときよし)の地にあったと言われる。発掘調査で本堂の前に法華堂・常行堂とみられる小堂を配置する天台系の伽藍跡が出土した。法華信仰や天台僧の関与を示す歴史からも元来は[[天台宗]]寺院だったとみられる。 1363年(正平18年/貞治2年)と1523年(大永3年)、[[中山寺]]と境界争いが起こっている。1578年(天正6年)、荒木村重の乱で焼失。江戸時代、[[三宝荒神信仰]]が高まり、[[竈の神]]として庶民の信仰を集めている。 仁和寺末となる。 1947年(昭和22年)、真言三宝宗を設立。 (日本歴史地名大系、国史大辞典) == 伽藍 == *本堂:本尊は大日如来。脇侍に不動明王と空海を祀る。 *霊牌堂: *練行堂: *龍王滝 *護牛神堂:牛頭天王を祀る。不動明王と空海も祀る。 *経蔵 *宝稲荷社 *役小角 *龍王堂:善女龍王を祀る。 *眼神祠: *行者洞:役小角を祀る。 *天堂:[[清澄寺荒神社|荒神社]]。三宝荒神王、歓喜天、十一面観音などを祀る。拝殿と呼ばれる。 *浴油堂:天堂の背後にある。 *護法堂:「ご本社」と呼ばれる。大勝金剛転輪王(如来荒神)を祀る。脇侍は歓喜童子と弁財天。 *荒神影向の榊:護法堂の背後にある。三宝荒神が最初に出現した榊という。 *眷属堂:三宝荒神の眷属として布袋を祀る。 *鼓楼 *鐘楼 *鉄斎美術館 *史料館 *宝蔵 == 組織 == ===法主=== *33浄界(1785-1855):清澄寺中興。俗姓は坪井。1832年(天保3年)清澄寺住職となる。「旧清」の地から現在地に境内の中心を移す。1855年(安政2年)11月15日死去。 *34賢住():浄界より先に死去。 *35道樹(1821-1900):俗姓は坪井。父が浄界の従兄弟に当たる。弟子に甥の道然がおり、中山寺住職となっている。仁和寺宝持院室。1867年(慶応3年)隠居?。1900年(明治33年)死去。[[高貴寺]]を兼務していたこともあるらしい。 *36坂本忍随(1849-): *37坂本光浄(1875-1969):富岡鉄斎と親交があり、多くの書画を収集。 *38坂本光聡(1927-1995):鉄斎美術館を開設。 *39坂本光謙(): == 資料 == *『蓬莱山清澄寺記』[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819771] [[category:兵庫県]]
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