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摂津・清澄寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年11月30日 (土)
清澄寺(せいちょうじ)は、兵庫県宝塚市米谷にある真言宗寺院。本尊は大日如来。真言三宝宗大本山。鎮守の荒神社が信仰を集め、清荒神として知られる。山号は蓬莱山。(参考:同名寺院清澄寺・清荒神)
目次 |
歴史
- 893年(寛平5年):宇多天皇が夢告を得て、勅願で天台座主増命を開山として創建。当初は現在地の東方にある「旧清」(もときよし)の地にあったと言われる。旧清の地からは発掘調査で本堂の前に法華堂・常行堂とみられる小堂を配置する天台系の伽藍跡が出土した。法華信仰や天台僧の関与を示す歴史からも元来は天台宗寺院だったとみられる。
- 896年(寛平8年):落慶の導師は東寺の益信が務めたという。
- 1172年(承安2年):清澄寺の尊恵という僧が死に、冥界に行って閻魔大王に謁見したが、法華経持経の功徳と、平清盛が天台宗護持するため再誕した良源の化身であることを伝えるために蘇生を許されたという。*1183年(寿永2年):焼失。
- 建久年間:源頼朝が再興したという。
- 1231年(寛喜3年):円満院門跡の法円法親王が有馬温泉への湯治に向かう途中、清澄寺で客死。
- 1363年(正平18年/貞治2年):中山寺と境界争い。
- 1523年(大永3年):中山寺と境界争い。
- 1578年(天正6年):荒木村重の乱で焼失。
- 江戸時代:三宝荒神信仰が高まり、竈の神として庶民の信仰を集めている。仁和寺末となる。
- 1947年(昭和22年):真言三宝宗を設立。
(日本歴史地名大系、国史大辞典)
伽藍
- 龍王滝
- 護牛神堂:牛頭天王を祀る。不動明王と空海も祀る。
- 経蔵
- 宝稲荷社
- 役小角
- 龍王堂:善女龍王を祀る。
- 眼神祠:
- 行者洞:役小角を祀る。
- 天堂:荒神社。三宝荒神王、歓喜天、十一面観音などを祀る。拝殿と呼ばれる。
- 浴油堂:天堂の背後にある。
- 護法堂:「ご本社」と呼ばれる。大勝金剛転輪王(如来荒神)を祀る。脇侍は歓喜童子と弁財天。
- 荒神影向の榊:護法堂の背後にある。三宝荒神が最初に出現した榊という。
- 眷属堂:三宝荒神の眷属として布袋を祀る。
- 鼓楼
- 鐘楼
- 鉄斎美術館
- 史料館
- 宝蔵
組織
法主
- 33浄界(1785-1855):清澄寺中興。俗姓は坪井。1832年(天保3年)清澄寺住職となる。「旧清」の地から現在地に境内の中心を移す。1855年(安政2年)11月15日死去。
- 34賢住():浄界より先に死去。
- 35道樹(1821-1900):俗姓は坪井。父が浄界の従兄弟に当たる。弟子に甥の道然がおり、中山寺住職となっている。仁和寺宝持院室。1867年(慶応3年)隠居?。1900年(明治33年)死去。高貴寺を兼務していたこともあるらしい。
- 36坂本忍随(1849-):
- 37坂本光浄(1875-1969):富岡鉄斎と親交があり、多くの書画を収集。
- 38坂本光聡(1927-1995):鉄斎美術館を開設。
- 39坂本光謙():
画像
資料
- 『蓬莱山清澄寺記』[1]