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文昌帝君信仰

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年6月4日 (木)

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'''文昌帝君廟'''(ぶんしょうていくん・びょう)は、科挙合格祈願の神である'''文昌帝君'''を祀った祠廟。文昌帝君は、梓潼県の土地神('''梓潼神''')、北斗七星の魁星とも同一視される星神の'''文昌星'''、東晋代に反乱を起こし蜀王を名乗った'''張育'''(張亜子)の3柱が習合した神格である。文昌帝君、魁星、朱衣神、[[呂祖]]、[[関帝]]を合わせて'''五文昌'''と呼び、ともに祀られることが多い。祠廟は四川省や台湾に多く、'''[[文廟]]'''、'''[[書院]]'''、'''文昌廟'''、'''文昌宮'''、'''文昌祠'''などとも呼ばれる。四川省梓潼県にある[[七曲山大廟]]が発祥地・総本社と思われる。現在も盛んに信仰されているという。(二階堂善弘「文昌帝君信仰と書院」)
'''文昌帝君廟'''(ぶんしょうていくん・びょう)は、科挙合格祈願の神である'''文昌帝君'''を祀った祠廟。文昌帝君は、梓潼県の土地神('''梓潼神''')、北斗七星の魁星とも同一視される星神の'''文昌星'''、東晋代に反乱を起こし蜀王を名乗った'''張育'''(張亜子)の3柱が習合した神格である。文昌帝君、魁星、朱衣神、[[呂祖]]、[[関帝]]を合わせて'''五文昌'''と呼び、ともに祀られることが多い。祠廟は四川省や台湾に多く、'''[[文廟]]'''、'''[[書院]]'''、'''文昌廟'''、'''文昌宮'''、'''文昌祠'''などとも呼ばれる。四川省梓潼県にある[[七曲山大廟]]が発祥地・総本社と思われる。現在も盛んに信仰されているという。(二階堂善弘「文昌帝君信仰と書院」)
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2020年6月4日 (木) 時点における最新版

文昌帝君廟(ぶんしょうていくん・びょう)は、科挙合格祈願の神である文昌帝君を祀った祠廟。文昌帝君は、梓潼県の土地神(梓潼神)、北斗七星の魁星とも同一視される星神の文昌星、東晋代に反乱を起こし蜀王を名乗った張育(張亜子)の3柱が習合した神格である。文昌帝君、魁星、朱衣神、呂祖関帝を合わせて五文昌と呼び、ともに祀られることが多い。祠廟は四川省や台湾に多く、文廟書院文昌廟文昌宮文昌祠などとも呼ばれる。四川省梓潼県にある七曲山大廟が発祥地・総本社と思われる。現在も盛んに信仰されているという。(二階堂善弘「文昌帝君信仰と書院」)

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