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昭和大嘗祭主基田
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | '''昭和主基田'''は福岡県福岡市早良区脇山にあった[[昭和天皇]] | + | '''昭和主基田'''は福岡県福岡市早良区脇山にあった[[昭和天皇]]大嘗祭の主基田。現在、跡地は脇山中央公園となっており、中央に「大嘗祭主基斎田碑」が立つ。[[昭和悠紀田]]は滋賀県にあった。[[大嘗祭関連旧跡]]。 |
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- | + | == 歴史 == | |
+ | ===当時=== | ||
+ | 1928年(昭和3年)2月5日、主基田が福岡県に決定。九州(西海道)から斎田が選ばれたのは初めてだった。福岡県は14日、斎田事務所を設置。3月15日、福岡県は脇山村を選んだ。その翌日(18日とも)、脇山村では[[横山神社]]で奉告祭が行われた。斎田の守護神とされたらしい。22日には斎田起工式が行われた。稲は「昭代」と命名され、31日苗代の水口祭。4月7日地鎮祭。4月14日斎田祓式があり、15日に鍬入式。20日播種祭。6月5日に御田植祭が行われたが、その日までに福岡市から脇山村まで伸びる「斎田道路」が整備され、村には「主基橋」が新設された。御田植祭では八乙女の舞の他に、新作された「お田植舞」が奉納された。8月、斎場地鎮祭。9月20日に椎原川沿いの祓所で大祓。9月21日に抜穂式。勅使として掌典伯爵庭田重行が参向した。10月16日脇山村を発し、翌日、京都大宮御所に収めた。10月30日、斎田奉賽祭。12月、斎田跡の四隅には境界を示す碑が建てられた(現存)。斎場地鎮祭、抜穂式とその前日の大祓は大礼使の所管。その他は福岡県の所管だった。 | ||
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+ | 斎場跡建物や祭具は神社や関係者に下付された。「主基斎田事蹟」によると、[[志賀海神社]]に「神職詰所」など、村内の横山神社に「潔斎所神殿」、村内の十二社神社に「潔斎所内手水舎」が譲渡された。神饌殿と稲実殿は下付されなかったか。 | ||
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+ | 主基田を記念して1931年(昭和6年)6月、安岡正篤らが脇山村に福岡農士学校(九州農士学校)を設立した。 | ||
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+ | ===その後=== | ||
+ | 現在、跡地は脇山中央公園となっており、中央に「大嘗祭主基斎田碑」が立つ(年代未確認)。公園内には[[栄西]]を顕彰した茶徳碑もある。毎年6月、「お田植舞」が行われているという。 | ||
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+ | 下付された建物のうち志賀海神社のものは現存不明。横山神社に下付された神殿は門戸口天満宮に拝殿として移築された。門戸口天満宮は横山神社の境外社だったのかもしれない。旧神殿は平成の大嘗祭を前にした1990年(平成2年)8月24日、過激派の放火により焼失したらしい[http://www.aichi-gokoku.or.jp/link/]。1931年(昭和6年)11月25日奉納の御田植祭を描いた絵馬もあったようだが、現存不明。手水舎は十二社神社に残されているようだ[https://ameblo.jp/hyakuokuitininnmenootoko/entry-12091286057.html][https://jinja-sanpaicho.com/jinja/jinja.php?id=0679]。 | ||
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+ | また野田公民館の近くの交差点の角に「主基斎田勅使道の碑」がある(「早良逍遥マップ記」)。記念して作られた主基地方風俗舞が[[宗像大社]]に伝わっている[http://www.fsg.pref.fukuoka.jp/e_mingei/detail.asp?id=35-3]。当時の公文書「主基斎田事蹟」が福岡共同公文書館に保管されている。 | ||
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+ | (「主基斎田事蹟」[http://archiveskensaku.pref.fukuoka.lg.jp/archives/detail?cls=collect11&pkey=1-1-0005899]、1928『大嘗祭主基斎田写真帖』[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1906703]、1988『図説天皇の即位礼と大嘗祭』新人物往来社、2003「早良逍遥マップ記」[http://www.kyusan-u.ac.jp/J/uchiyama/sawaramap.pdf]、2018「脇山主基斎田90周年記念事業 お田植祭リーフレット」[http://www.city.fukuoka.lg.jp/sawaraku/sawaraku-tamatebako/topics/topic-otauematsuri.html]) | ||
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2019年4月29日 (月) 時点における版
昭和主基田は福岡県福岡市早良区脇山にあった昭和天皇大嘗祭の主基田。現在、跡地は脇山中央公園となっており、中央に「大嘗祭主基斎田碑」が立つ。昭和悠紀田は滋賀県にあった。大嘗祭関連旧跡。
歴史
当時
1928年(昭和3年)2月5日、主基田が福岡県に決定。九州(西海道)から斎田が選ばれたのは初めてだった。福岡県は14日、斎田事務所を設置。3月15日、福岡県は脇山村を選んだ。その翌日(18日とも)、脇山村では横山神社で奉告祭が行われた。斎田の守護神とされたらしい。22日には斎田起工式が行われた。稲は「昭代」と命名され、31日苗代の水口祭。4月7日地鎮祭。4月14日斎田祓式があり、15日に鍬入式。20日播種祭。6月5日に御田植祭が行われたが、その日までに福岡市から脇山村まで伸びる「斎田道路」が整備され、村には「主基橋」が新設された。御田植祭では八乙女の舞の他に、新作された「お田植舞」が奉納された。8月、斎場地鎮祭。9月20日に椎原川沿いの祓所で大祓。9月21日に抜穂式。勅使として掌典伯爵庭田重行が参向した。10月16日脇山村を発し、翌日、京都大宮御所に収めた。10月30日、斎田奉賽祭。12月、斎田跡の四隅には境界を示す碑が建てられた(現存)。斎場地鎮祭、抜穂式とその前日の大祓は大礼使の所管。その他は福岡県の所管だった。
斎場跡建物や祭具は神社や関係者に下付された。「主基斎田事蹟」によると、志賀海神社に「神職詰所」など、村内の横山神社に「潔斎所神殿」、村内の十二社神社に「潔斎所内手水舎」が譲渡された。神饌殿と稲実殿は下付されなかったか。
主基田を記念して1931年(昭和6年)6月、安岡正篤らが脇山村に福岡農士学校(九州農士学校)を設立した。
その後
現在、跡地は脇山中央公園となっており、中央に「大嘗祭主基斎田碑」が立つ(年代未確認)。公園内には栄西を顕彰した茶徳碑もある。毎年6月、「お田植舞」が行われているという。
下付された建物のうち志賀海神社のものは現存不明。横山神社に下付された神殿は門戸口天満宮に拝殿として移築された。門戸口天満宮は横山神社の境外社だったのかもしれない。旧神殿は平成の大嘗祭を前にした1990年(平成2年)8月24日、過激派の放火により焼失したらしい[1]。1931年(昭和6年)11月25日奉納の御田植祭を描いた絵馬もあったようだが、現存不明。手水舎は十二社神社に残されているようだ[2][3]。
また野田公民館の近くの交差点の角に「主基斎田勅使道の碑」がある(「早良逍遥マップ記」)。記念して作られた主基地方風俗舞が宗像大社に伝わっている[4]。当時の公文書「主基斎田事蹟」が福岡共同公文書館に保管されている。
(「主基斎田事蹟」[5]、1928『大嘗祭主基斎田写真帖』[6]、1988『図説天皇の即位礼と大嘗祭』新人物往来社、2003「早良逍遥マップ記」[7]、2018「脇山主基斎田90周年記念事業 お田植祭リーフレット」[8])