ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

木曽御嶽信仰の行者旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
(?旧跡一覧)
26行: 26行:
==旧跡一覧==
==旧跡一覧==
===祖霊社===
===祖霊社===
 +
{|class="wikitable"
 +
|+
 +
|-
 +
!style="width:20%"|名称
 +
!style="width:40%"|所在地
 +
!style="width:40%"|概要
 +
|-
 +
|黒沢御嶽神社 若宮祖霊殿
 +
|長野県木曽郡木曽町三岳
 +
|黒沢御嶽神社若宮にある祖霊殿。信者祖先の霊を合祀している。木曽御嶽本教の慰霊大祭が毎年10月23日24日に行われている。
 +
|-
 +
|黒沢御嶽神社 天昇殿
 +
|長野県木曽郡木曽町三岳屋敷野2888
 +
|黒沢御嶽神社の納骨堂。黒沢登山道にある。1975年(昭和50年)10月に建立(境内由緒書き)。
 +
|-
 +
|木曽御嶽本教 霊碑園
 +
|長野県木曽郡木曽町三岳
 +
|木曽御嶽本教の霊神場。木曽御嶽本教創設者武居誠をはじめ、歴代の幹部の霊神碑が祀られている。
 +
|-
 +
|王滝御嶽神社 里宮霊神社
 +
|長野県木曽郡王滝村東3315
 +
|王滝御嶽神社里宮にある祖霊殿。2004年(平成16年)改修(王滝御嶽神社ウェブサイト)。
 +
|-
 +
|王滝御嶽神社 講祖本社
 +
|長野県木曽郡王滝村東
 +
|王滝里宮のそばにある堂。普寛の木像を中心に、覚明、普寛、一心、一山の銅像を祀る。『村誌王滝』1634-1635に記載がある「松越御堂」にある木像はここの木像のこととと思われる。創建年代は不詳だが、1912年(大正1年)には存在した(福山寿久編『木曽の御岳』)<br>|1890年(明治23年)8月1日より15日まで普寛霊神百年祭を実施。記念碑を建立。のち1920年(大正9年)10月1日、2日に一心霊神百年祭を実施。記念碑を建立。(『御嶽の歴史』283)<br>1954年(昭和29年)4月、一山霊神百年祭を実施。記念碑を建立(『村誌王滝』1643)。他に王滝里宮の境内社にも講祖本社がある。
 +
|-
 +
|御嶽教御嶽山大和本宮 大和光霊殿
 +
|奈良県奈良市大渕町3775
 +
|御嶽教の大和本宮にある納骨堂・祖霊殿。御嶽教の歴代管長および教師、信徒が祀られている。3月最終日曜に祭典が行われている(御嶽教ウェブサイト)。
 +
|-
 +
|御嶽教木曽大教殿 大霊殿
 +
|長野県木曽郡木曽町福島新万郡2325
 +
|御嶽教の木曽大教殿にある祖霊殿。
 +
|-
 +
|御嶽教 歴代管長霊場
 +
|長野県木曽郡王滝村
 +
|御嶽教の歴代管長を祀った霊神場。王滝口三合目と四合目のあいだに位置する。1987年(昭和62年)の建立(教派神道連合会ウェブサイト)。毎年5月17日に御嶽教立教記念祭が行われる。
 +
|}
 +
<gallery>
<gallery>
ファイル:ontake B006 黒沢御嶽神社 若宮祖霊殿01.jpg|黒沢御嶽神社 若宮祖霊殿
ファイル:ontake B006 黒沢御嶽神社 若宮祖霊殿01.jpg|黒沢御嶽神社 若宮祖霊殿
52行: 92行:
===泰賢旧跡===
===泰賢旧跡===
 +
 +
{|class="wikitable"
 +
|+
 +
|-
 +
!style="width:20%"|名称
 +
!style="width:40%"|所在地
 +
!style="width:40%"|概要
 +
|-
 +
|泰賢 満願寺
 +
|新潟県南魚沼市長森847
 +
|泰賢が修行した寺院
 +
|-
 +
|泰賢 泰賢霊窟(八海山尊神社里宮)
 +
|新潟県南魚沼市大崎3746
 +
|泰賢が参籠していたという洞窟。伝承によると、1798年(寛政10年)に泰賢はこの洞窟に籠り、三年間、塩断ち穀断ちの修行を行ったとされる。泰賢は洞窟に不動明王を祭り修行したという。|(鈴木昭英1978「八海山信仰と八海講」)
 +
|-
 +
|泰賢 泰賢墓(普寛霊場)
 +
|埼玉県本庄市中央3-4
 +
|泰賢の墓所。普寛霊場にある。このほか、御嶽の普寛堂にもあるらしい(鈴木昭英1978「八海山信仰と八海講」)。
 +
|-
 +
|泰賢 泰賢墓(八海山龍谷寺)
 +
|新潟県南魚沼市大崎3455
 +
|泰賢の墓所。菩提寺である龍谷寺門前にある。宝篋印塔である(1815年(文化12年)建立、1884年(明治17年)再建)。同所には1904年(明治37年)建立の「円城院泰賢霊神百年塔」もある。(鈴木昭英1978「八海山信仰と八海講」)
 +
|-
 +
|泰賢 泰賢墓(御嶽山)
 +
|不詳
 +
|御嶽山の普寛堂に墓所があるという(鈴木昭英1978「八海山信仰と八海講」、宮家1981)。どの普寛堂を指すのかは不明である。
 +
|-
 +
|泰賢 泰賢霊神碑(鳥居峠)
 +
|
 +
|鳥居峠に霊神碑(供養塔)と像がある。
 +
|}
 +
 +
===順明旧跡===
===順明旧跡===
 +
 +
 +
 +
{|class="wikitable"
 +
|+
 +
|-
 +
!style="width:20%"|名称
 +
!style="width:40%"|所在地
 +
!style="width:40%"|概要
 +
|-
 +
|順明 御嶽神社
 +
|
 +
|順明が住した寺院。
 +
|-
 +
|順明 順明墓(普寛霊場)
 +
|埼玉県本庄市中央3-4
 +
|順明の墓所。普寛霊場にある。
 +
|}
 +
===一心旧跡===
===一心旧跡===
 +
{|class="wikitable"
 +
|+
 +
|-
 +
!style="width:20%"|名称
 +
!style="width:40%"|所在地
 +
!style="width:40%"|概要
 +
|-
 +
|一心 一心神社
 +
|長野県上田市武石上本入下小寺尾892-1
 +
|一心の出身地である上本入にある神社。上田市指定無形民俗文化財「一心神社祭典行事」。
 +
|-
 +
|一心 万徳寺
 +
|東京都台東区根岸5丁目1-13
 +
|一心が養子に入った丸山家の菩提寺。一心の墓所がある寺院。当初、一心はこの寺で得度した。一心は、1821年(文政4年)5月に幕府に逮捕されたが、10月2日、三宅島に遠島となる当日に伝馬町牢獄で自害した(配所で没したというのは誤りらしい)。千住回向院に葬られたが、弟子の小林仁右衛門(明王院智寛)や平賀弥七(初代真乗院)によって、すぐに万徳寺に改葬された(『御嶽山丸江元講宝物拝見記』)。入口に「木食一心行者霊地」碑がある。
 +
|-
 +
|一心 一心行場(王滝御嶽神社里宮)
 +
|長野県木曽郡王滝村東3315
 +
|一心が修行したという行場。王滝御嶽神社里宮の本社の脇にある岩窟である。一心が普寛と出会い、普寛より「不動明王の秘法」を受法された場所だとされている。一心は、疫病によって妻子を失い、菩提寺で出家の後、普寛の声望を聞いて、御嶽山に修行に赴いてきていたのであった(以上、『御嶽山丸江元講宝物拝見記』20-21)。
 +
|-
 +
|一心 一心行場
 +
|長野県木曽郡王滝村
 +
|王滝口登山道の清滝あたりにある岩窟である。普寛より「不動明王の秘法」を受法した一心が、一千日木食行を行なったときに起居した岩窟であるとされる(『御嶽山丸江元講宝物拝見記』20-21)。
 +
|-
 +
|一心 回向院
 +
|東京都東京都荒川区南千住5
 +
|一心の死去の地。
 +
|-
 +
|一心 一心墓
 +
|東京都台東区根岸5丁目1-13
 +
|一心の墓。菩提寺の万徳寺にある。上記参照。
 +
|-
 +
|一心 並木一心霊場
 +
|埼玉県深谷市原郷
 +
|一心の墓所(歯髪塔)。盛心の活動により、1847年(弘化4年)4月に一心が赦免され、1852年(嘉永5年)には東叡山浄名院慧澄より菩薩戒が一心に授けられた。このころ、盛心は並木国済寺の東北済に御嶽山遥拝所を建立。一心の歯髪を納めた宝篋印塔を建立。一心堂を建立した。1937年(昭和12年)遷座。一番奥に御嶽三神碑がある。かたわらに不動明王。一心大菩薩宝塔、盛心大菩薩宝塔がある。一心と普寛の石像。一心八十年祭碑、百年祭碑、百五十年祭。盛心百年祭碑。盛心百五十年祭碑。(『木曽御嶽信仰』264頁)
 +
|-
 +
|一心 一心堂(王滝)
 +
|長野県木曽郡王滝村
 +
|一心を祀った堂。道路反対側に一心霊神碑があるが、もとは同じ敷地内だったという。
 +
|}
 +
<gallery>
<gallery>
ファイル:Issin-haka 03.jpg|一心墓(万徳寺)
ファイル:Issin-haka 03.jpg|一心墓(万徳寺)
66行: 199行:
===一山旧跡===
===一山旧跡===
 +
{|class="wikitable"
 +
|+
 +
|-
 +
!style="width:20%"|名称
 +
!style="width:40%"|所在地
 +
!style="width:40%"|概要
 +
|-
 +
|一山 円乗院
 +
|埼玉県さいたま市中央区本町西1-13-10
 +
|一山が出家した寺院。墓所。
 +
|-
 +
|一山 嶺御嶽神社
 +
|東京都大田区北嶺町37-20
 +
|一山が創建した神社
 +
|-
 +
|一山 一山墓(円乗院)
 +
|埼玉県さいたま市中央区本町西1-13-10
 +
|宝篋印塔の墓碑がある。
 +
|-
 +
|一山 一山神社
 +
|埼玉県さいたま市中央区本町東4-10-14
 +
|一山講が建てた神社。祭神に一山は含まれていないが、一山像が祀られているらしい
 +
|-
 +
|一山 一山神社(嶺御嶽神社)
 +
|東京都大田区北嶺町37-20
 +
|
 +
|-
 +
|一山 一山神社(高松御嶽神社)
 +
|東京都練馬区高松3-19
 +
|
 +
|-
 +
|一山 一山神社(下石神井御嶽神社)
 +
|東京都練馬区下石神井
 +
|
 +
|-
 +
|一山 一山霊神
 +
|長野県木曽郡王滝村 ハナド
 +
|
 +
|}
 +
<gallery>
<gallery>
ファイル:Issan-haka 02.jpg|与野円乗院(一山の得度寺院)
ファイル:Issan-haka 02.jpg|与野円乗院(一山の得度寺院)

2011年7月11日 (月) 時点における版

木曽御嶽信仰の行者旧跡

Issan-haka 02.jpg Issin-haka 01.jpg
左:与野円乗院  右:一心墓所


目次

概要

ここでは、木曽御嶽信仰の行者の旧跡を紹介する。なお覚明普寛に関してはそれぞれの項目を参照。

旧跡一覧

祖霊社

名称 所在地 概要
黒沢御嶽神社 若宮祖霊殿 長野県木曽郡木曽町三岳 黒沢御嶽神社若宮にある祖霊殿。信者祖先の霊を合祀している。木曽御嶽本教の慰霊大祭が毎年10月23日24日に行われている。
黒沢御嶽神社 天昇殿 長野県木曽郡木曽町三岳屋敷野2888 黒沢御嶽神社の納骨堂。黒沢登山道にある。1975年(昭和50年)10月に建立(境内由緒書き)。
木曽御嶽本教 霊碑園 長野県木曽郡木曽町三岳 木曽御嶽本教の霊神場。木曽御嶽本教創設者武居誠をはじめ、歴代の幹部の霊神碑が祀られている。
王滝御嶽神社 里宮霊神社 長野県木曽郡王滝村東3315 王滝御嶽神社里宮にある祖霊殿。2004年(平成16年)改修(王滝御嶽神社ウェブサイト)。
王滝御嶽神社 講祖本社 長野県木曽郡王滝村東 1890年(明治23年)8月1日より15日まで普寛霊神百年祭を実施。記念碑を建立。のち1920年(大正9年)10月1日、2日に一心霊神百年祭を実施。記念碑を建立。(『御嶽の歴史』283)
1954年(昭和29年)4月、一山霊神百年祭を実施。記念碑を建立(『村誌王滝』1643)。他に王滝里宮の境内社にも講祖本社がある。
御嶽教御嶽山大和本宮 大和光霊殿 奈良県奈良市大渕町3775 御嶽教の大和本宮にある納骨堂・祖霊殿。御嶽教の歴代管長および教師、信徒が祀られている。3月最終日曜に祭典が行われている(御嶽教ウェブサイト)。
御嶽教木曽大教殿 大霊殿 長野県木曽郡木曽町福島新万郡2325 御嶽教の木曽大教殿にある祖霊殿。
御嶽教 歴代管長霊場 長野県木曽郡王滝村 御嶽教の歴代管長を祀った霊神場。王滝口三合目と四合目のあいだに位置する。1987年(昭和62年)の建立(教派神道連合会ウェブサイト)。毎年5月17日に御嶽教立教記念祭が行われる。

泰賢旧跡

名称 所在地 概要
泰賢 満願寺 新潟県南魚沼市長森847 泰賢が修行した寺院
泰賢 泰賢霊窟(八海山尊神社里宮) 新潟県南魚沼市大崎3746 (鈴木昭英1978「八海山信仰と八海講」)
泰賢 泰賢墓(普寛霊場) 埼玉県本庄市中央3-4 泰賢の墓所。普寛霊場にある。このほか、御嶽の普寛堂にもあるらしい(鈴木昭英1978「八海山信仰と八海講」)。
泰賢 泰賢墓(八海山龍谷寺) 新潟県南魚沼市大崎3455 泰賢の墓所。菩提寺である龍谷寺門前にある。宝篋印塔である(1815年(文化12年)建立、1884年(明治17年)再建)。同所には1904年(明治37年)建立の「円城院泰賢霊神百年塔」もある。(鈴木昭英1978「八海山信仰と八海講」)
泰賢 泰賢墓(御嶽山) 不詳 御嶽山の普寛堂に墓所があるという(鈴木昭英1978「八海山信仰と八海講」、宮家1981)。どの普寛堂を指すのかは不明である。
泰賢 泰賢霊神碑(鳥居峠) 鳥居峠に霊神碑(供養塔)と像がある。


順明旧跡

名称 所在地 概要
順明 御嶽神社 順明が住した寺院。
順明 順明墓(普寛霊場) 埼玉県本庄市中央3-4 順明の墓所。普寛霊場にある。

一心旧跡

名称 所在地 概要
一心 一心神社 長野県上田市武石上本入下小寺尾892-1 一心の出身地である上本入にある神社。上田市指定無形民俗文化財「一心神社祭典行事」。
一心 万徳寺 東京都台東区根岸5丁目1-13 一心が養子に入った丸山家の菩提寺。一心の墓所がある寺院。当初、一心はこの寺で得度した。一心は、1821年(文政4年)5月に幕府に逮捕されたが、10月2日、三宅島に遠島となる当日に伝馬町牢獄で自害した(配所で没したというのは誤りらしい)。千住回向院に葬られたが、弟子の小林仁右衛門(明王院智寛)や平賀弥七(初代真乗院)によって、すぐに万徳寺に改葬された(『御嶽山丸江元講宝物拝見記』)。入口に「木食一心行者霊地」碑がある。
一心 一心行場(王滝御嶽神社里宮) 長野県木曽郡王滝村東3315 一心が修行したという行場。王滝御嶽神社里宮の本社の脇にある岩窟である。一心が普寛と出会い、普寛より「不動明王の秘法」を受法された場所だとされている。一心は、疫病によって妻子を失い、菩提寺で出家の後、普寛の声望を聞いて、御嶽山に修行に赴いてきていたのであった(以上、『御嶽山丸江元講宝物拝見記』20-21)。
一心 一心行場 長野県木曽郡王滝村 王滝口登山道の清滝あたりにある岩窟である。普寛より「不動明王の秘法」を受法した一心が、一千日木食行を行なったときに起居した岩窟であるとされる(『御嶽山丸江元講宝物拝見記』20-21)。
一心 回向院 東京都東京都荒川区南千住5 一心の死去の地。
一心 一心墓 東京都台東区根岸5丁目1-13 一心の墓。菩提寺の万徳寺にある。上記参照。
一心 並木一心霊場 埼玉県深谷市原郷 一心の墓所(歯髪塔)。盛心の活動により、1847年(弘化4年)4月に一心が赦免され、1852年(嘉永5年)には東叡山浄名院慧澄より菩薩戒が一心に授けられた。このころ、盛心は並木国済寺の東北済に御嶽山遥拝所を建立。一心の歯髪を納めた宝篋印塔を建立。一心堂を建立した。1937年(昭和12年)遷座。一番奥に御嶽三神碑がある。かたわらに不動明王。一心大菩薩宝塔、盛心大菩薩宝塔がある。一心と普寛の石像。一心八十年祭碑、百年祭碑、百五十年祭。盛心百年祭碑。盛心百五十年祭碑。(『木曽御嶽信仰』264頁)
一心 一心堂(王滝) 長野県木曽郡王滝村 一心を祀った堂。道路反対側に一心霊神碑があるが、もとは同じ敷地内だったという。

一山旧跡

名称 所在地 概要
一山 円乗院 埼玉県さいたま市中央区本町西1-13-10 一山が出家した寺院。墓所。
一山 嶺御嶽神社 東京都大田区北嶺町37-20 一山が創建した神社
一山 一山墓(円乗院) 埼玉県さいたま市中央区本町西1-13-10 宝篋印塔の墓碑がある。
一山 一山神社 埼玉県さいたま市中央区本町東4-10-14 一山講が建てた神社。祭神に一山は含まれていないが、一山像が祀られているらしい
一山 一山神社(嶺御嶽神社) 東京都大田区北嶺町37-20
一山 一山神社(高松御嶽神社) 東京都練馬区高松3-19
一山 一山神社(下石神井御嶽神社) 東京都練馬区下石神井
一山 一山霊神 長野県木曽郡王滝村 ハナド
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%9C%A8%E6%9B%BD%E5%BE%A1%E5%B6%BD%E4%BF%A1%E4%BB%B0%E3%81%AE%E8%A1%8C%E8%80%85%E6%97%A7%E8%B7%A1」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール