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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

普寛旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年5月28日 (月)

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普寛旧跡

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左:普寛の生家(現存せず)  右:普寛百年祭碑

概要

普寛(ふかん)(1731-1801)は、覚明とともに木曽御嶽山を開き、木曽御嶽信仰の開祖となった天台宗修験。木曽御嶽信仰独自の憑霊儀礼である御座(おざ)は普寛が不動明王から授けられたものとされる。武蔵秩父出身。普寛行者普寛霊神

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旧跡

名称 所在地 コメント
秩父 普寛神社 埼玉県秩父市大滝944 普寛の生誕地。生家跡。下記参照。
秩父 三峰山高雲寺観音院(三峰神社埼玉県秩父市三峰298-1 普寛が出家した寺院。江戸で酒井神楽頭家に仕えていた普寛(木村好八)は思うところがあって、1764年(明和1年)に三峰山高雲寺観音院(三峰神社)にて出家した。観音院は本山派二十七先達の一つ。普寛は日照に師事して、本山派修験者となった。
両神山 埼玉県秩父市、秩父郡小鹿野町 三峰山で日照のもとにいたころ、両神山の金剛院でも修行していたという伝承がある。金剛院ではのちの弟子の順明の祖父に師事したという。(『木曽御嶽信仰』164)
八丁堀 法性院(廃絶) (江戸八丁堀) 普寛が住した寺院。下記参照。
上野 三笠山 群馬県多野郡上野村 1790年(寛政2年)に普寛が三笠山を開いたという。(『木曽御嶽信仰』211)
秩父 意波羅山 埼玉県秩父市 1792年(寛政4年)2月、三社宮を創建。『普寛行者道中日誌』による。(『修験と神道のあいだ』263)。
木曽 御嶽山 長野県木曽郡木曽町・王滝村 1792年(寛政4年)6月8日に初登拝。6月10日に頂上に到達。翌1793年(寛政5年)6月13日に二回目の登拝。さらに翌1794年(寛政6年)6月1日に三回目の登拝。『普寛行者道中日誌』による。(『修験と神道のあいだ』24)
越後 八海山 新潟県南魚沼市 普明の『八海山開闢伝紀』によると、1794年(寛政6年)6月18日に登拝して屏風本社を祀ったとされる(鈴木昭英2004:31)。しかし、このとき普寛は木曽御嶽山に滞在していたはずなので、このまま史実だとはいえないようである。
上野 武尊山 群馬県利根郡みなかみ町、川場村、片品村 1795年(寛政7年)7月2日に武尊山登頂。『武尊山開闢縁記』および『武尊山開闢記』が伝存している。(『修験と神道のあいだ』304)
本庄 安養院 埼玉県本庄市中央3-3-6 1801年(享和1年)死去。安養院の文龍により葬儀が行われる。安養院に埋葬された。のち、普寛の墓域は普寛霊場として独立する。
本庄 普寛霊場 埼玉県本庄市中央3-4 普寛の墓所四箇所の一つ。遺骨を砕いて、木像に黒漆で塗り固められた「御霊像」が、御堂にご神体として祀られている。
花戸 普寛堂 長野県木曽郡王滝村 花戸 普寛の墓所四箇所の一つ。普寛の死後、分骨が納められた。吉左衛門(麓講祖、吉神行者)が普寛堂を建立。子孫の小谷家が堂守を務めている(『御嶽の歴史』161)。50年忌の1848年(嘉永1年)6月、江戸高砂講によって、「開闢木食普寛行者」の碑が建立される(『三岳村誌 上巻』823)。広山、順明、泰賢が関わる。『御嶽の歴史』313
秩父 普寛神社 埼玉県秩父市大滝944 普寛の墓所四箇所の一つ。普寛の生誕地。子孫の木村家が代々継承している。創建年代は不明。当初は普寛堂といった。1921年(大正10年)、東京永山教会の寄進により再建。一時期は御嶽教に関わっていたらしい。1944年(昭和19年)2月、火災により焼失。1966年(昭和41年)5月3日、普寛神社として再建。1975年(昭和50年)宗教法人となる。1988年(昭和63年)に神楽殿建設。埼玉県旧跡「普寛行者生地」に指定されている。(以上、「神楽殿建設記念碑」、墓碑より)
八丁堀 法性院(廃絶) (江戸八丁堀) 普寛が住した寺院。本山派修験寺院。1766年(明和3年)、普寛は権大僧都となり、本明院と称して、法性院に住した。これは叔父の伯忍の跡を継いだものだという(菅原寿清「覚明・普寛とその弟子達の時代」)。普寛の墓所四箇所の一つ。廃絶。御嶽山大教普寛大殿教会に遺骨が一部伝存しているという(菅原「都市における木曽御嶽信仰」)。
新宿 御嶽山大教普寛大殿教会 東京都新宿区新宿5丁目2 普寛の墓所四箇所の一つ。法性院のものの一部が伝存している(菅原「都市における木曽御嶽信仰」)。
両神山 金剛院御嶽神社 埼玉県秩父郡小鹿野町両神薄6785 普寛の分骨があるという。(椿真智子・城戸貴子 1991「秩父両神村における修験の展開と変質」104)
武尊山 法称寺 群馬県利根郡片品村花咲 普寛分骨が伝存している。
高崎 普寛堂 群馬県高崎市貝沢町322 高崎にある御嶽講の普寛堂。伝承によると、普寛の分骨を納めているという。五霊神社に接する。
王滝 普寛堂 長野県木曽郡王滝村 王滝にある普寛堂
王滝 講祖本社 長野県木曽郡王滝村 王滝にある御嶽行者を合祀した堂
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%99%AE%E5%AF%9B%E6%97%A7%E8%B7%A1」より作成

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