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本願寺近松別院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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[[file:E10C531A-4E26-4172-83B6-D5FC051E8DA7.jpeg|近松別院|thumb|400px]] '''本願寺近松別院'''(ほんがんじ・ちかまつ・べついん)は、滋賀県大津市札の辻にある[[浄土真宗]]寺院。[[本願寺遷座旧跡]]。[[西本願寺]]の[[浄土真宗本願寺派の別院寺院|別院]]。[[浄土真宗本願寺派]]。寺号は'''顕証寺'''。'''近松坊'''、'''近松顕証寺'''、'''大津顕証寺'''などと呼ばれた。山号は近松山。(参考:同名寺院[[顕証寺]]) == 歴史 == *1469年(文明1年)春:[[園城寺万徳院]]の斡旋で、[[蓮如]]が園城寺南別所に'''近松坊'''を創建。 *1471年(文明3年):蓮如は越前の[[吉崎御坊]]に移るが、親鸞御影は1480年(文明12年)の[[山科本願寺]]建立まで近松坊にあったと考えられている。 *1480年(文明12年)11月18日:「根本御絵像」を近松坊から山科本願寺に遷座した記録が『拾麈記』にある。ただし絵像とあり、現在の本願寺御影堂の像との関係は不詳。のちの記録では開山を蓮如長男の順如としており、山科本願寺建立後に順如が後を任されたらしい。 *順如の死後、蓮淳が入寺。有力な勢力である堅田[[本福寺]]門徒に睨みを利かせた。 *1529年(享禄2年):蓮淳、河内の西証寺に入り、近江顕証寺の「等身の御影」を奉遷し、顕証寺と改称。近江の顕証寺は大阪府八尾市の[[八尾・顕証寺|久宝寺御坊顕証寺]]の兼帯所となった。 *1532年(天文1年):焼失。 *1570年(元亀1年)9月:[[織田信長]]が下した朱印状によると[[近松寺]]内にあったことが分かる。 *1692年(元禄5年):この年の下寺開基帳によると常住住職はおらず、河内顕証寺が兼務。留守居として正福寺と光現寺があった。 (日本歴史地名大系) (別格別院にはなっていない。別格別院になったのは同名の[[八尾・顕証寺]]) [[Category:滋賀県]]
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