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松前護国神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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『靖国神社誌』には1869年(明治2年)10月創建とある。
『靖国神社誌』には1869年(明治2年)10月創建とある。
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*1869年(明治2年)5月10日:神止山に招魂所を設置することを命じる。達しの全文あり[https://dl.ndl.go.jp/pid/9537268/1/470]。
*1869年(明治2年)5月20日:松前藩、仮埋葬8人を改葬して招魂場を設置。21日に達す[https://dl.ndl.go.jp/pid/9540628/1/435]。
*1869年(明治2年)5月20日:松前藩、仮埋葬8人を改葬して招魂場を設置。21日に達す[https://dl.ndl.go.jp/pid/9540628/1/435]。
*1869年(明治2年)8月:[[上磯官修墳墓]]から松前藩士4人を改葬[https://dl.ndl.go.jp/pid/9569621/1/113]。
*1869年(明治2年)8月:[[上磯官修墳墓]]から松前藩士4人を改葬[https://dl.ndl.go.jp/pid/9569621/1/113]。
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*1869年(明治2年)10月8日:竣工して3日間大祭を行う。57人の墓標を立てる。。江差相撲山招魂場埋葬者27人の遺品を(福山官修墳墓に?)収める(。[https://dl.ndl.go.jp/pid/9541109/1/334]
*1869年(明治2年)10月8日:竣工して3日間大祭を行う。57人の墓標を立てる。。江差相撲山招魂場埋葬者27人の遺品を(福山官修墳墓に?)収める(。[https://dl.ndl.go.jp/pid/9541109/1/334]
*1869年(明治2年)10月18日:招魂祭を斎行[https://dl.ndl.go.jp/pid/9540628/1/435]。60人を埋葬し、その上に墓碑を立てる。
*1869年(明治2年)10月18日:招魂祭を斎行[https://dl.ndl.go.jp/pid/9540628/1/435]。60人を埋葬し、その上に墓碑を立てる。
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*1870年(明治3年)10月20日:招魂所で神祭[https://dl.ndl.go.jp/pid/9537327/1/538]
*1873年(明治6年)5月25日:漁民蜂起。開拓使出張所に赴く前に招魂場に集まっている[https://dl.ndl.go.jp/pid/9572172/1/50]。
*1873年(明治6年)5月25日:漁民蜂起。開拓使出張所に赴く前に招魂場に集まっている[https://dl.ndl.go.jp/pid/9572172/1/50]。
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*1873年(明治6年)6月10日:招魂祭。「暴動後人気平穏ならしめんが為種々之賑筋を興行」という[https://dl.ndl.go.jp/pid/9537327/1/558]。
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*1873年(明治6年)6月30日:次官が招魂場を参拝[https://dl.ndl.go.jp/pid/9537327/1/562]。
*1876年(明治9年)4月17日:福山・江差の招魂場を招魂社とする[https://dl.ndl.go.jp/pid/9541109/1/363][https://dl.ndl.go.jp/pid/9540628/1/435][https://hokkaidojinjacho.jp/%E6%9D%BE%E5%89%8D%E8%AD%B7%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE/]。墳墓地と分離。
*1876年(明治9年)4月17日:福山・江差の招魂場を招魂社とする[https://dl.ndl.go.jp/pid/9541109/1/363][https://dl.ndl.go.jp/pid/9540628/1/435][https://hokkaidojinjacho.jp/%E6%9D%BE%E5%89%8D%E8%AD%B7%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE/]。墳墓地と分離。
*1877年(明治10年):社殿を造営。[https://dl.ndl.go.jp/pid/9572172/1/363]
*1877年(明治10年):社殿を造営。[https://dl.ndl.go.jp/pid/9572172/1/363]

2024年4月28日 (日) 時点における版

松前護国神社(まつまえ・ごこく・じんじゃ)は、北海道松前郡松前町松城にある招魂社官祭招魂社指定外護国神社檜山護国神社と同様に松前藩松前家が創建した。官祭祭神に女性を含む。神止山招魂場馬形上招魂社福山招魂社福山護国神社福山官修墳墓が隣接。(参考:同名神社福山護国神社

目次

歴史

『靖国神社誌』には1869年(明治2年)10月創建とある。

  • 1869年(明治2年)5月10日:神止山に招魂所を設置することを命じる。達しの全文あり[1]
  • 1869年(明治2年)5月20日:松前藩、仮埋葬8人を改葬して招魂場を設置。21日に達す[2]
  • 1869年(明治2年)8月:上磯官修墳墓から松前藩士4人を改葬[3]
  • 1869年(明治2年)9月14日:各寺院に仮埋葬の官軍戦死者を招魂場に改葬[4]
  • 1869年(明治2年)10月1日:盛大な慰霊祭。3日まで。[5](11月とも)
  • 1869年(明治2年)10月8日:竣工して3日間大祭を行う。57人の墓標を立てる。。江差相撲山招魂場埋葬者27人の遺品を(福山官修墳墓に?)収める(。[6]
  • 1869年(明治2年)10月18日:招魂祭を斎行[7]。60人を埋葬し、その上に墓碑を立てる。
  • 1870年(明治3年)10月20日:招魂所で神祭[8]
  • 1873年(明治6年)5月25日:漁民蜂起。開拓使出張所に赴く前に招魂場に集まっている[9]
  • 1873年(明治6年)6月10日:招魂祭。「暴動後人気平穏ならしめんが為種々之賑筋を興行」という[10]
  • 1873年(明治6年)6月30日:次官が招魂場を参拝[11]
  • 1876年(明治9年)4月17日:福山・江差の招魂場を招魂社とする[12][13][14]。墳墓地と分離。
  • 1877年(明治10年):社殿を造営。[15]
  • 1888年(明治21年)4月23日:子爵松前修広、福山招魂社に参詣。墓碑一つ一つに対し、戦死の様子を聞きながら丁寧に礼拝したという。[16]
  • 1915年(大正4年)2月14日:御大典記念に神止山に赤松250本を植樹[17]
  • 1934年(昭和9年)1月9日:日清戦争・日露戦争の戦没者8柱を私祭祭神として合祀。[18][19]
  • 1939年(昭和14年)3月:護国神社制度の施行と共に福山護国神社と改称。神饌幣帛料供進神社に指定される。[20][21]
  • 1942年(昭和17年)4月:松前護国神社と改称[22]
  • 1957年(昭和32年)7月26日:松前町戦傷没者慰霊碑が竣工[23]

祭神

官祭祭神

藩士51柱、役夫3柱、民兵4柱、歩卒妻1柱、伊州藩士1柱、計60柱が祀られる。

  • 01:池田修也:
  • 02:村上温次郎:松前藩。1869年(明治2年)4月11日戦死。
  • 03:田崎東:
  • 04:藤岡庄七:
  • 05:犬上譲次郎:大野官修墳墓に墓碑。
  • 06:田村量吉:
  • 07:新井田貞治:
  • 08:蠣崎龍衛:
  • 09:宮嶋磯之烝:
  • 10:天野啓次郎:
  • 11:富山刑部:
  • 12:森簾左衛門:
  • 13:田原音八:
  • 14:島崎房五郎:
  • 15:小川悦之進:
  • 16:平尾鉄蔵:
  • 17:平野安五郎:松前藩。1869年(明治2年)4月11日戦死。
  • 18:下国録之進:
  • 19:田村和鬼也:松前藩。1869年(明治2年)4月11日戦死。
  • 20:鎌田雄五郎:
  • 21:大場忠左衛門:大野官修墳墓に墓碑。大場忠右衛門。
  • 22:田中作右衛門:
  • 23:福井佐五六:松前藩。1869年(明治2年)4月11日戦死。
  • 24:小西浩太郎:松前藩。1869年(明治2年)4月11日戦死。
  • 25:西村定太郎:
  • 26:田中宇吉:
  • 27:高橋二太郎:
  • 28:遠藤駒蔵:松前藩。1869年(明治2年)4月11日戦死。敬蔵。
  • 29:原水甚左衛門:
  • 30:平尾民五郎:
  • 31:上田三平:
  • 32:松江宇八:
  • 33:荒井幾三郎:
  • 34:田中量作:
  • 35:難波藤次郎:
  • 36:工藤元三郎:松前藩。1869年(明治2年)4月17日戦死。
  • 37:大城角太郎:
  • 38:桜井金七郎:
  • 39:高畑喜六:大野官修墳墓に墓碑。
  • 40:菊池多作(菊地多作):大野官修墳墓に墓碑。
  • 41:広田忠蔵:
  • 42:鈴木順蔵:松前藩。1869年(明治2年)4月11日戦死。
  • 43:山崎才治:大野官修墳墓に墓碑。
  • 44:田村粂太郎:松前藩。1869年(明治2年)4月11日戦死。
  • 45:川村元蔵:松前藩。1869年(明治2年)4月11日戦死。
  • 46:溝江寛三:松前藩。1869年(明治2年)4月11日戦死。
  • 47:山岡喜八郎:
  • 48:三浦此二:
  • 49:中村小八:
  • 50:日角牧二(日角牧三):大野官修墳墓に墓碑。日角収三。
  • 51:藤田璉蔵:松前藩。1869年(明治2年)4月11日戦死。
  • 52:神崎珍太郎:
  • 53:浅野吉之助:
  • 54:武藤幸右衛門:
  • 55:中川菊四郎:
  • 56:太田直吉:
  • 57:寺田治助:
  • 58:能登谷房吉:
  • 59:川内美岐:靖国女性祭神の初という。
  • 60:松山平四郎:

不詳

  • 杉村玄英:松前藩。1869年(明治2年)4月11日戦死。
  • 今井由膳:松前藩。1869年(明治2年)4月17日戦死。
  • 桜井長三郎:松前藩。1869年(明治2年)4月13日戦死。

画像

資料

  • 『松前町史通説編1』「幕末の神道」[24]
  • 『松前町史通説編1』「松前藩兵の戦死者」[25]
  • 『松前町史通説編2』「福山招魂社の創建」[26]
  • 『松前町史通説編2』「箱館戦争における福山招魂社官祭人名一覧」[27]
  • ウェブサイト『戊辰掃苔録』「神止山招魂場」[28][29]
  • 「神止山祭典ノ件壬申四月」:青森県福山出張所の公文書か[30]。不詳。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%9D%BE%E5%89%8D%E8%AD%B7%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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