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椿大神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
椿大神社
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'''椿大神社'''(つばき・おおかみ・の・やしろ)は、三重県鈴鹿市にある[[猿田彦信仰]]の神社。主祭神は「猿田彦大神」。相殿として[[瓊々杵尊]]、栲幡千々姫命、配祀として[[天之鈿女命]]、[[木花咲耶姫命]]、さらに前座として'''行満大明神'''が祀られている(神社ウェブサイト)。[[都波岐奈加等神社]]とともに[[伊勢国一宮]]の論社とされる。[[県社]]。[[別表神社]]。 ==歴史== ===由緒=== 垂仁天皇27年8月に[[倭姫命]]の神託を受けて、[[入道ケ岳]]・椿ケ岳から麓の現在地に猿田彦神の神霊を遷し、社殿を建てたのが始まりとされる。猿田彦神の末裔に'''行満'''というものがおり、現在の神社では、彼は[[役行者]]を導いたとされ、「修験神道」の開祖となったとして崇めている。 現在の社家山本家はこの行満の子孫という。 ===古代=== 747年の『大安寺伽藍縁起并流記資財帳』に「椿社」とある(椿岸神社に比定する説もある)。 865年に従五位上から正五位下(三代実録)。これ以前に勲七等となっており、藤原仲麻呂の乱に際して授与されたか。 891年に正五位上から従四位下(日本紀略)。 927年の『延喜式』神名帳に記載。神名帳に「大神社」とあるのは「椿大神社」と「小岸大神社」のみ。 ===中世=== 伊勢国一宮となる。伊勢国一宮は都波岐神社とする説もあるが、南北朝時代奉納の大般若経に「奉施入一宮山本椿大明神」とある。 獅子舞神楽が隆盛し、3年に一度、伊勢国北部を巡行していた。 この流れをくむという獅子舞神楽が各地に分布する。 ===近世=== 1532年、田丸合戦で落武者が神宮寺を焼く。 1583年、豊臣秀吉軍の峰城攻めで筒井順慶が椿大神社を焼く。 1586年、社殿棟上 1594年、社殿棟上 1599年、社殿上葺 1605年、吉田家から神道裁許状。以後、歴代神主が受ける。 1611年、社殿棟上 1622年、板倉勝重の発願で社殿棟上 1647年、社殿修復 1662年、下椿岸神社の社殿造営、棟上 1669年、三界神集社を創建 1680年、本社拝殿と万社拝殿を造営 1690年、神主山本家や神職巫女36人、檀家を離れた。 1694年、稲生神社の祭礼で同神社から座次について訴えられ争論。勝訴。 1697年、橘三喜が参詣 1701年、吉田兼敬筆の「一宮大明神」号を亀山藩主板倉重冬が装潢を命じ完成。 1707年、板倉重冬が伊勢一宮として25石を寄進 1712年、松蔭神社を創建 1747年、亀山藩主石川総慶、本社修造 1757年、石川総慶、本社末社修造。以後、本社修造のたびに産子改名札を本殿内に収めた。 1775年、石川総純、本社修造。 1790年、石川総博、本社修造。 1794年、神楽殿造営。 1807年、石川総佐、本社末社修造。 1828年、石川総安、本社修造。 1839年、石川総和、本社末社修造。 1852年、石川総和、本社修造。 1857年、石川総和、本社拝殿神輿殿修造。 1865年、石川成之、本社修造。 ===近現代=== 別当の瑞光院、廃絶。 1871/8/15、亀山県第八区の郷社。1873年、改めて三重県六区2、3、4小区の郷社 1881年本社末社修造 1906年12月、神饌幣帛料供進神社に指定 1908年4月17日、村社小岸大神社ほか57社を合祀。 1928年(昭和3年)11月、県社(神道史大辞典)。 ==境内== 元来の鎮座地である入道ケ嶽山頂に[[椿大神社奥宮|奥宮]]がある。山中には「いしぐらの磐座」「いしがみの磐座」がある。 別宮として天之鈿女命を祀る[[椿岸神社]]がある。[[官社]](式内社)で、相殿に[[太玉命]]・[[天之児屋根命]]を祀る。行満堂神霊殿は行満を主祭神に「神宮寺6ヵ寺ゆかりの6神」を祀る。また崇敬者物故者などを祀り、祖霊社の役割を果たしている。参道途中にある[[土公神陵]]は猿田彦神の陵墓とされる。'''御船磐座'''は天孫降臨のときに乗ってきた船を繋ぎ止めたところとされる。 また椿護国神社、[[伊勢・県主神社|県主神社]](官社)、松下幸之助社がある。アメリカには分社である[[アメリカ椿大神社]]がある。 *本社: *[[椿岸神社]]: *[[行満堂神霊殿]]: *[[入道ケ嶽]]:標高906.1m。 **[[椿大神社奥宮]]: **いしぐらの磐座: **いしがみの磐座:富士社 *[[土公神陵]]:高山塚 *[[椿護国神社]]: *[[伊勢・県主神社]]: *[[松下幸之助社]]: *御船磐座: *獅子堂: *愛宕社: *印霊供養塔: *瑞光院:別当。廃絶。 *西岸寺:真宗高田派。真慧が創建。 *石神社:合祀。 *[[小岸大神社]]: *[[アメリカ椿大神社]] ==組織== ===神主(前近代)=== *行満:山本家の祖。行満大明神。 *山本行家()<>:之家も同一人物か。慶長10年吉田家から神道裁許状。 *山本行次()<>:之次も同一人物か。1630年吉田家から神道裁許状。 *山本行信()<>:行重より改名か(之重も同一人物か)。1657年吉田家から神道裁許状。1713年吉田家から簾正霊神号。 *山本行光()<>:1686年、吉田家から神道裁許状。1720年、吉田家から清白霊神号。 *山本行厚()<>:1717年、吉田家から神道裁許状。1726年、吉田家から令全霊神号。 *山本行賀()<>:1725年、吉田家から神道裁許状。 *山本行英()<>:1742年、吉田家から神道裁許状。 *山本行道()<>:1761年、従五位下に叙任。1797年、吉田家から神主還補。 *山本行教()<>:1785年、吉田家から神道裁許状。 *山本行家(1796-1883)<>:初名は繁麿か。1813年、吉田家から神道裁許状。1883/11/19死去。 *山本行俊(1824-1874)<>:1841年吉田家から神道裁許状。1874年5/16死去。 ===近現代=== *山本九春()<1871-1873?>:亀山藩士。蘭学者か。1871年8月、祠官。 *阿部丸一()<1873?-1877?>:祠官。1873年5月、山本行俊から阿部丸一へ奉仕神社各神社の社殿宝物を引き継ぐ。1877年1月、氏子から職務怠慢で免職願い。 *大久保清春()<1879->:祠官。1879年、祠官選挙願。同年には就任。 *山本行敬()<1894->:初名は首。1894年9月18日、社司。 *95山本行輝(1888-1971)<>: *96山本行隆(1923-2002)<1971-2002>:1971年11月宮司就任。2002/8/1死去。 *97山本行恭()<2002->:2002/9/15就任。 (『椿大神社近世年表』ほか) [[category:三重県]]
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