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椿大神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年12月3日 (土)
椿大神社(つばき・おおかみ・の・やしろ)は、三重県鈴鹿市山本町(伊勢国鈴鹿郡)にある猿田彦信仰の神社。主祭神は「猿田彦大神」。相殿として瓊々杵尊、栲幡千々姫命、配祀として天之鈿女命、木花咲耶姫命、さらに前座として行満大明神が祀られている(神社ウェブサイト)。都波岐奈加等神社とともに伊勢国一宮の論社とされる。県社。別表神社。椿岸神社を下椿社というのに対して、椿大神社を上椿社と呼んだ。椿宮大明神、行満大菩薩、行満大明神とも呼ばれた(行満大明神または行満大菩薩は中世の椿大神社の神号の一つだった)。現在は「地祇猿田彦大本宮」と称している。
目次 |
祭神
相殿と配祀は同じ意味で使われることもあるが、椿大神社では区別されている。しかしその違いは不明。前座は一般的神社では用いられない用語だ。相殿配祀の4神は猿田彦神が活躍した天孫降臨神話にゆかりの神々だ。
- 主祭神:猿田彦大神:瓊瓊杵尊の天孫降臨を先導したことから、導きの神といわれる。その神格については様々に考察されている。境内に神陵がある。
- 相殿:瓊々杵尊:天照大神の孫神。神代三代初代。猿田彦神に先導されて日向の高千穂に天下った。瓊瓊杵尊。
- 相殿:栲幡千々姫命:瓊瓊杵尊の母。伊勢神宮内宮相殿にも祀られている。栲幡千千姫命。
- 配祀:天之鈿女命:猿田彦神の妃神。
- 配祀:木花咲耶姫命:瓊瓊杵尊の后神。
- 前座:行満大明神:猿田彦神の末裔で、山本神主家の祖神。奈良時代、聖武天皇の頃の人物という。現在の神社では、彼は役行者を導いたとされ、「修験神道」の開祖となったとして崇めている。行満神主。行満大明神または行満大菩薩は中世の椿大神社の神号の一つだった。別称が別神として分化することは珍しいことではない。
- 合祀32神:おそらく近世・近代に合祀された周辺の神社の祭神だろう。三界神集社、万社、松蔭霊社などか。
歴史
由緒
- 神代:瓊瓊杵尊の天孫降臨の時に猿田彦神が高千穂まで先導した。
- 垂仁天皇27年8月:倭姫命の神託を受けて、入道ケ岳・椿ケ岳から麓の現在地に猿田彦神の神霊を遷し、社殿を建てたのが始まりとされる。
- 仁徳天皇代:霊夢により「椿」を社号としたという。
古代・中世
- 747年(天平19年):同年成立の『大安寺伽藍縁起并流記資財帳』に「椿社」とある(椿岸神社に比定する説もある)。
- 聖武天皇代:聖武天皇が椿大神社に行幸。続いて吉備真備を派遣して猿田彦神の面と、天之鈿女命の化身である獅子頭を彫らせて奉納した。獅子舞神事の起源とされる。
- 865年(貞観7年)4月15日:「椿神」に従五位上から正五位下(三代実録)。これ以前に勲七等となっており、藤原仲麻呂の乱に際して授与されたか。
- 891年(寛平3年)8月21日:正五位上から従四位下(日本紀略)。
- 927年(延長5年):『延喜式』神名帳に記載。神名帳に「大神社」とあるのは「椿大神社」と近くにある「小岸大神社」のみ。
- 中世には伊勢国一宮となる。伊勢国一宮は都波岐神社とする説もあるが、南北朝時代奉納の大般若経に「奉施入一宮山本椿大明神」とある。
- 獅子舞神楽が隆盛し、3年に一度、伊勢国北部を巡行していた。この流れをくむという獅子舞神楽が各地に分布する。
近世
- 1532年(天文1年):田丸合戦で落武者が神宮寺を焼く。
- 1583年(天正11年):豊臣秀吉軍の峰城攻めで筒井順慶が椿大神社を焼く。
- 1586年(天正14年):社殿棟上。
- 1594年(文禄3年):社殿棟上。
- 1599年(慶長4年):社殿上葺。
- 1605年(慶長10年):吉田家から神道裁許状。以後歴代神主が受ける。
- 1611年(慶長16年):社殿棟上。
- 1622年(元和8年):板倉勝重の発願で社殿棟上。
- 1647年(正保4年):社殿修復。
- 1662年(寛文2年):下椿岸神社の社殿棟上。
- 1669年(寛文9年)閏10月26日:三界神集社を境内の西にある殿山に創建。隣村との争論で山本村の勝訴を記念して八百万神を祀った。
- 1680年(延宝8年):本社拝殿と万社拝殿を造営。
- 1690年(元禄3年):神主山本家や神職巫女36人が離檀した。
- 1694年(元禄7年):稲生神社の祭礼で同神社から座次について訴えられ争論。勝訴。
- 1697年(元禄10年):全国一宮巡拝を行っていた神道家・橘三喜が参詣。
- 1701年(元禄14年):吉田兼敬筆の「一宮大明神」号を亀山藩主板倉重冬が表装を命じ完成。
- 1707年(宝永4年):亀山藩主板倉重冬、伊勢国一宮として25石を寄進。
- 1712年(正徳2年):亀山藩板倉家歴代を祀る松蔭霊社を創建(1714年(正徳4年)とも)。
- 1747年(延享4年):亀山藩主石川総慶、本社修造。
- 1757年(宝暦7年):亀山藩主石川総慶、本社末社修造。以後、本社修造のたびに「産子改名札」を本殿内に収めた。
- 1775年(安永4年):亀山藩主石川総純、本社修造。
- 1790年(寛政2年):亀山藩主石川総博、本社修造。
- 1794年(寛政6年):神楽殿造営。
- 1807年(文化4年):亀山藩主石川総佐、本社末社修造。
- 1828年(文政11年):亀山藩主石川総安、本社修造。
- 1839年(天保10年):亀山藩主石川総紀(石川総和)、本社末社修造。
- 1852年(嘉永5年):亀山藩主石川総紀、本社修造。
- 1857年(安政4年):亀山藩主石川総紀、本社拝殿神輿殿修造。
- 1865年(慶応1年):亀山藩主石川成之、本社修造。
近代
- 明治初年:神宮寺が廃絶した。
- 1871年(明治4年)8月15日:亀山県第八区の郷社に列格する。
- 1873年(明治6年):郷社としての管轄区域が改定され、三重県六区2・3・4小区の郷社となる。
- 1881年(明治14年):本社末社修造。
- 1906年(明治39年)12月:神饌幣帛料供進神社に指定。
- 1907年(明治40年)11月19日:椿岸神社を合祀。神社合祀令を受けたもので、特に三重県内では合祀や合併が強力に推進された。
- 1908年(明治41年)4月17日:村社小岸大神社ほか57社を合祀。松陰霊社は4月19日合祀か。
- 1928年(昭和3年)11月:県社に昇格(神道史大辞典)。
- 1935年(昭和10年):警視庁の守護神として猿田彦神を祀るにあたり、椿大神社の分霊を祀った。
戦後
- 1956年(昭和31年):猿田彦大本宮講、設立。
- 1962年(昭和37年):「みそぎ会」結成。
- 1965年(昭和40年)3月:山本行隆禰宜:10年間の「みそぎ修行」を満願。
- 1965年(昭和40年)9月17日:台風で本社に倒木被害。23日神楽殿に遷座。
- 1962年(昭和37年):椿岸神社、松陰霊社跡に小規模に再建。
- 1966年(昭和41年)4月11日:松陰霊社跡に椿岸神社を復興し、その社殿を本社仮殿として遷座。台風被害があったのでその倒木を使って椿岸神社社殿を造営した。
- 1966年(昭和41年)8月8日:入道ケ岳に奥宮を創建。
- 1968年(昭和43年):神社本庁別表神社に加列。
- 1968年(昭和43年)11月9日:現在の本社社殿を造営、遷座。1966年(昭和41年)の神託によるという。
- 1968年(昭和43年):宮司山本行隆、国際自由宗教同盟で訪米。
- 1969年(昭和44年):椿講(猿田彦大本宮講)設立。
- 1970年(昭和45年)10月13日:椿護国神社を創建。
- 1976年(昭和51年)9月:東京講本部、設立。
- 1976年(昭和51年):御田植祭復興。瑞宝稲荷社、創建。
- 1977年(昭和52年):獅子堂建立。
- 1980年(昭和55年):行満堂建立。
- 1980年5月:庚龍神社、創建。
- 1981年5月25日:椿立雲龍神社、創建。
- 1985年(昭和60年):愛宕社再建。
- 1987年(昭和62年)7月:アメリカ椿大神社、米国カリフォルニア州スタックトン市に創建。
- 1991年(平成3年):全国一宮会を設立。宮司山本行隆が発起人座長。
- 1989年(平成1年)10月8日:椿岸神社を造営遷座。本殿をずらし、拝殿などを新たに建てた。
- 1998年(平成10年)10月10日:三重県亀山市川崎町の県主神社を境内に遷座。
- 1998年(平成10年)4月27日:松下幸之助を祀る松下社を創建。
- 2007年(平成19年)秋:椿岸神社旧地に記念碑を建立。
- 2020年3月22日:龍蛇神両地神社、創建。
境内・関連旧跡
- 本社:
- 別宮
- 摂社
- 伊勢・県主神社:官社。
- 末社
- その他・不明
- 入道ケ嶽:三重県鈴鹿市小岐須町。猿田彦神の降臨の地。奥宮や「いしぐらの磐座」、「いしがみの磐座」がある。
- 行満堂神霊殿:行満堂神霊殿は行満を主祭神に「神宮寺6カ寺ゆかりの6神」を祀る。また役員・氏子・講社員・崇敬者の物故者などを祀り、祖霊社の役割を果たしている。昭和の大造営に功績あった奉賛会役員物故者を参集殿奉安殿に奉仕していたのを神霊殿に遷座した。
- いしぐらの磐座:
- いしがみの磐座:富士社
- 愛宕社:
- 獅子堂:
- 椿立雲龍神社:1981年5月25日創建。高座結御子神社(熱田神宮摂社)境内の「御井の社」より勧請したという。
- 龍蛇神両地神社:祭神は龍蛇神。2020年3月22日創建。龍蛇神は出雲国稲佐の浜に現れた龍蛇に由来。
- 庚龍神社:樅木に宿る龍神を祀る。1980年5月創建。
- 印霊供養塔:印鑑を供養する塔。
- 金龍明神の滝:
- 交通安全祈祷殿
- 椿岸神社旧地:2007年(平成19年)秋に記念碑建立。
- 瑞宝稲荷社:1976年(昭和51年)、御田植祭復興に合わせて神饌田に創建。
- 七福稲荷社:山本神主家の邸内社。
- 合祀・廃絶
- 神明社:本社に合祀。
- 松蔭霊社:本社に合祀。
- 万社:江戸時代に廃絶。
- 三界神集社:本社に合祀。
- 椿延命地蔵:
- かなえ滝:
- 神宮寺:廃絶。
- 阿弥陀寺:
- 東光寺:
- 玉伝寺:
- 大日寺:境内にあった。
- 高雲寺:
- 国照寺:
- 西岸寺:三重県鈴鹿市山本町。真宗高田派。1461年(寛正2年)3月8日、真慧が創建。神祇不拝の浄土真宗でありながら江戸時代、神宮寺の仏堂を管理していたという。
- アメリカ椿大神社:アメリカ合衆国ワシントン州グラナイトフォールズ。
組織
神主(前近代)
猿田彦神の神裔とされる山本家が世襲する。中世には神職の長官を「禰宜」と呼ぶことが多かったが、近世には「神主」と呼ぶようになったようだ。早くから吉田家から神道裁許状を受けた。また3人が吉田家から霊神号を受けているのが注目される。
- 行満:山本家の祖。行満大明神。
- 山本行家()<>:山本之家も同一人物か。1605年(慶長10年)吉田家から神道裁許状。
- 山本行次()<>:山本之次も同一人物か。1630年(寛永7年)吉田家から神道裁許状。
- 山本行信()<>:山本行重より改名か(之重も同一人物か)。1657年(明暦3年)吉田家から神道裁許状。1713年(正徳3年)吉田家から簾正霊神号。
- 山本行光()<>:1686年(貞享3年)、吉田家から神道裁許状。1720年(享保5年)、吉田家から清白霊神号。
- 山本行厚()<>:1717年(享保2年)、吉田家から神道裁許状。1726年(享保11年)、吉田家から令全霊神号。
- 山本行賀()<>:1725年(享保10年)、吉田家から神道裁許状。
- 山本行英()<>:1742年(寛保2年)、吉田家から神道裁許状。
- 山本行道()<>:1761年(宝暦11年)、従五位下に叙任。1797年(寛政9年)、吉田家から神主還補され、再任。
- 山本行教(?-1796)<>:1785年(天明5年)、吉田家から神道裁許状。1796年(寛政8年)死去。
- 山本行道()<1797->:再任。
- 山本行家(1796-1883)<>:1796年(寛政8年)生。1813年(文化10年)、吉田家から神道裁許状。1883年(明治16年)11月19日死去。初名は繁麿か。
- 山本行俊(1824-1874)<>:1824年(文政7年)生。1841年(天保12年)吉田家から神道裁許状。1874年(明治7年)5月16日死去。歌集が伝わる。
祠官・宮司(近現代)
1871年(明治4年)5月、明治政府が神職の世襲を禁止したことから一時期、山本家以外のものが就任したが、やがて山本家の世襲に戻る(政府の世襲禁止の命令は全国的にも有名無実となる)。
- 山本九春(生没年不詳)<1871-1873?>:蘭学者。亀山藩士。社家の山本家の出身かどうかは不明。1871年(明治4年)8月、祠官。
- 阿部丸一(生没年不詳)<1873?-1877?>:国学者。蘭学者。亀山藩明倫舎教官。祠官。1873年(明治6年)5月、山本行俊から阿部丸一へ奉仕神社各神社の社殿宝物を引き継ぐ。1877年(明治10年)1月、氏子から職務怠慢で免職願い。
- 大久保清春(生没年不詳)<1879->:祠官。1879年(明治12年)、祠官選挙願。同年には就任。
- 山本行敬(1859-1927)<1894->:1859年(安政6年)生。1873年(明治6年)阿良神社神明社祠掌。1884年(明治17年)椿大神社祠掌。1894年(明治27年)9月18日、社司。1927年(昭和2年)死去。山本首。
- 95山本行輝(1888-1971)<>:1888年(明治21年)生。1971年(昭和46年)死去。山本斉生。
- 96山本行隆(1923-2002)<1972-2002>:山本行輝の子。1923年(大正12年)生。1946年(昭和21年)椿大神社禰宜。1947年(昭和22年)伊勢専門学館神道部卒業。1972年(昭和47年)6月21日、宮司就任。2002年(平成14年)8月1日死去。
- 97山本行恭(1952-)<2002->:大阪府出身。1952年(昭和27年)生。1975年(昭和50年)皇学館大学卒。1976年(昭和51年)椿大神社権禰宜。三重県神道青年会長。禰宜を経て1996年(平成8年)椿大神社権宮司。2002年(平成14年)9月15日、椿大神社宮司。神道講演全国協議会会長。山本潤。
(『椿大神社近世年表』ほか)