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真慧旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年10月16日 (日)
(真慧から転送)
真慧(しんえ)(1434-1512)は、浄土真宗の僧。専修寺中興。墓所は専修寺、大津西教寺にある。真慧の教化で改宗したと伝える寺院も多い。
一覧
- 伊勢・西岸寺:三重県鈴鹿市山本町。真宗高田派。1461年(寛正2年)3月8日、真慧が創建。神祇不拝の浄土真宗でありながら江戸時代、椿大神社の神宮寺の仏堂を管理していたという。
- 吉尾道場:伊勢国鈴鹿郡(三重県鈴鹿市東庄内町)にあった。
- 真慧墓
年譜
略歴
- 1434年(永享6年):生。定顕の子。大内氏
- 1459年(長禄3年):高田を離れ、諸国を巡る。
- 1461年(寛正2年)3月8日:伊勢西岸寺を創建しまもなく吉尾道場に移る(同寺寺伝)
- 1789・年(寛正1年):伊勢に入る。
- 1793・年(寛正5年):伊勢国一身田に滞在。同年5月に住職就任。
- 1794・年:専修寺の寺地を伊勢に移したとされる。
- 1794・年6月:延暦寺に赴く。
- 1477年(文明9年)6月:後土御門天皇から住職綸旨。
- 1478年3月:天皇の祈願所とする綸旨。
- 1487年(長享1年)10月12日:法印大僧都。
- 1502年(文亀2年)8月:退任。
- 1504年(永正1年)10月8日:規則を定める。
- 永正年間:真慧の教化で真昌寺(三重県鈴鹿市秋永町)、成泉寺(三重県鈴鹿市稲生町)が浄土真宗に帰依。
- 1512年(永正9年)10月22日:死去。79歳。天台宗西教寺中興の真盛と親しく真慧の墓は西教寺に設けられた。