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浄住寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
浄住寺
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'''浄住寺'''(じょうじゅうじ)は、京都府京都市西京区にある[[葉室家]]の菩提寺。[[関東祈祷所]]。元は[[律宗]]([[真言律宗]])西大寺流の拠点寺院で戒壇が置かれたが、現在は[[臨済宗]]系の[[黄檗宗]]。(参考:同名寺院[[浄住寺_(同名)]]) ==概要== 葉室定嗣が弘長元年(1261)、出家して、別荘を寺とし、[[叡尊]]を招いて創建。叡尊教団の山城・[[京都]]における最大の拠点となった。あるいは平安京創設とともに建てられた官寺[[常住寺]]の跡地に再興されたとも、[[円仁]]が創建し、常住寺と称したともいう。 浄住とは、布薩(戒を読み上げ、懺悔する儀式)の雅語・漢語ともいう。叡尊によって[[西大寺]]、[[家原寺]]、[[海龍王寺]]、[[法華寺]]とともに[[戒壇]]が置かれた。当寺では弘安6年(1283)に築かれた。本堂、舎利殿、宝塔、塔、四十九院、戒壇、鎮守、宝蔵、食堂などがあった。太平記に「異瑞奇特の大伽藍」と記された。中国律宗南山流の祖[[道宣]]が得たという由緒を持つ仏牙舎利が室町女院から奉納された。 寺地は京都七口の一つの唐櫃越口にあり、律宗寺院の伝統として交通の要所に建てられたと考えられている。 '''光明院'''という塔頭があり、真言律宗西大寺流の重要法会である'''光明真言会'''が行われていた。また光明院は[[東寺]]の学頭学衆の葬送を司り、納骨の寺院だったという。 その後、戦乱により荒廃したが、江戸時代に[[臨済宗]]僧で[[隠元隆琦]]弟子の'''鉄牛道機'''が葉室家の帰依を受けて再建した。 ==参考文献== *松尾剛次「葉室浄住寺考」 [[category:京都府]]
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