ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
浄金剛院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2012年6月30日 (土) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
後嵯峨天皇の離宮亀山殿に付属して創建された寺院である。現在の嵯峨天龍寺のあたりにあった。
後嵯峨天皇は道観証慧に帰依して、道観証慧を開山として当寺を創建。 当寺は浄土宗西山派嵯峨流の拠点となった。
後嵯峨天皇は、亀山殿の別院薬草院で火葬され、亀山殿に隣接していた浄金剛院に法華堂が建立されて納骨された。亀山天皇も亀山殿の裏山で火葬され、同法華堂に納骨された。浄金剛院の古図には法華堂が記されている(天龍寺蔵『山城国嵯峨亀山殿近辺屋敷地指図』)。しかし、足利尊氏による天龍寺創建により、亀山殿跡地周辺は大幅に区画整理をされ、浄金剛院も廃絶し、陵墓は所在不明となった。 文久の修陵に際して、谷森は地名から考証して、陵墓旧地を確定した。同地にあった舎利殿と経蔵を撤去し、新たに法華堂2堂を建立し、「浄金剛院法華堂」と称した。現在の後嵯峨天皇陵、亀山天皇陵である。
当寺の鐘が妙心寺に現存している。698年(文武2年)の銘がある日本最古の鐘で『徒然草』に記述がある。