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浄金剛院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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後嵯峨天皇の離宮亀山殿に付属して創建された寺院である。現在の嵯峨天龍寺のあたりにあった。

後嵯峨天皇は道観証慧に帰依して、道観証慧を開山として当寺を創建。 当寺は浄土宗西山派嵯峨流の拠点となった。

後嵯峨天皇は、亀山殿の別院薬草院で火葬され、亀山殿に隣接していた浄金剛院に法華堂が建立されて納骨された。亀山天皇も亀山殿の裏山で火葬され、同法華堂に納骨された。浄金剛院の古図には法華堂が記されている(天龍寺蔵『山城国嵯峨亀山殿近辺屋敷地指図』)。しかし、足利尊氏による天龍寺創建により、亀山殿跡地周辺は大幅に区画整理をされ、浄金剛院も廃絶し、陵墓は所在不明となった。 文久の修陵に際して、谷森は地名から考証して、陵墓旧地を確定した。同地にあった舎利殿と経蔵を撤去し、新たに法華堂2堂を建立し、「浄金剛院法華堂」と称した。現在の後嵯峨天皇陵亀山天皇陵である。

当寺の鐘が妙心寺に現存している。698年(文武2年)の銘がある日本最古の鐘で『徒然草』に記述がある。

http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%B5%84%E9%87%91%E5%89%9B%E9%99%A2」より作成

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