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浄金剛院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2015年8月30日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
浄金剛院 じょうこんごういん | |
概要 | 後嵯峨天皇の離宮亀山殿の付属寺院。浄土宗西山派嵯峨流の発祥寺院。後嵯峨天皇陵・亀山天皇陵がある。廃絶。 |
奉斎 | |
所在地 | 京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒 |
所在地(旧国郡) | 山城国葛野郡 |
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目次 |
概要
浄金剛院は、後嵯峨天皇の離宮亀山殿付属の浄土宗寺院。現在の嵯峨天龍寺のあたりにあった。廃絶。浄土宗西山派嵯峨流の拠点となった。
後嵯峨天皇は道観証慧を開山として当寺を創建。天皇は文永9年(1272)の崩御後、亀山殿別院薬草院で火葬され、浄金剛院に法華堂が建立されて納骨された。その皇子で亀山殿を御所とした亀山天皇も亀山殿裏山で火葬され、同法華堂に納骨された。浄金剛院の古図には法華堂が記されている[1]。しかし、足利尊氏による天龍寺創建で周辺は大幅に区画整理をされ、浄金剛院も廃絶し、陵墓は所在不明となった。幕末、文久の修陵に際して、谷森善臣は地名から考証して、陵墓旧地を確定した。同地にあった舎利殿と経蔵を撤去し、新たに法華堂2堂を建立し、「浄金剛院法華堂」と称した。現在の後嵯峨天皇陵、亀山天皇陵である。当寺の鐘が妙心寺に現存している。698年(文武2年)の銘がある日本最古の鐘で『徒然草』に記述がある。
画像
参考文献
- 高橋慎一朗、2007『浄土宗西山派史話 人と寺院』
- 中西随功監修、2011『証空事典』東京堂出版
脚注
- ↑ 天龍寺蔵『山城国嵯峨亀山殿近辺屋敷地指図』