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湯島聖堂
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | + | '''湯島聖堂'''は、東京都文京区にある、江戸時代、日本[[儒教]]の国家的中心となった[[孔子廟]]。 | |
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- | + | 明治4年(1871)、[[大学]]が廃止されると、国家的祭祀の場としての歴史は終わった。同年9月に文部省博物局が設置されると、孔子像などは撤去され博物館として利用された。のち明治39年(1906)、'''孔子祭典会'''が結成され、第1回祭典が行われるが、大正12年(1923)、関東大震災の大火災で全焼した。元の孔子像は、あぐらの座像で司寇冠をかぶっていたという。初期には向かって右に[[顔子]]、[[思子]]、左に[[曽子]]、[[孟子]]の像があった。この前に十哲の木主が向かい合うように置かれた。 | |
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2015年6月14日 (日) 時点における版
湯島聖堂は、東京都文京区にある、江戸時代、日本儒教の国家的中心となった孔子廟。
寛永9年(1632)、上野忍岡の林家邸の私塾に名古屋藩主徳川義直の寄進により創建された先聖殿が起源。このとき義直の依頼で京都の七条仏所23代康音が孔子像、四配像を製作した。義直は、既に名古屋城内に孔子廟を建てており、儒教に深い関心を示していたと分かる。その60年後の元禄4年(1691)、5代将軍徳川綱吉が現在地に造営し、2月孔子像などを遷座。将軍列席のもと、釋奠が行われた。
明治4年(1871)、大学が廃止されると、国家的祭祀の場としての歴史は終わった。同年9月に文部省博物局が設置されると、孔子像などは撤去され博物館として利用された。のち明治39年(1906)、孔子祭典会が結成され、第1回祭典が行われるが、大正12年(1923)、関東大震災の大火災で全焼した。元の孔子像は、あぐらの座像で司寇冠をかぶっていたという。初期には向かって右に顔子、思子、左に曽子、孟子の像があった。この前に十哲の木主が向かい合うように置かれた。