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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

湯島聖堂

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年1月6日 (金)

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湯島聖堂(ゆしま・せいどう)は、東京都文京区にある、日本儒教の国家的中心となった孔子廟昌平坂学問所が置かれた。

歴史

寛永9年(1632)、上野忍岡の林家邸の私塾に名古屋藩主徳川義直の寄進により創建された先聖殿が起源。このとき義直の依頼で京都の七条仏所23代康音が孔子像、四配像を製作した。義直は、既に名古屋城内に孔子廟を建てており、儒教に深い関心を示していたと分かる。その60年後の元禄4年(1691)、5代将軍徳川綱吉が現在地に造営し、2月孔子像などを遷座。将軍列席のもと、釋奠が行われた。

明治4年(1871)、大学が廃止されると、国家的祭祀の場としての歴史は終わった。同年9月に文部省博物局が設置されると、孔子像などは撤去され博物館として利用された。のち明治39年(1906)、孔子祭典会が結成され、第1回祭典が行われるが、大正12年(1923)、関東大震災の大火災で全焼した。元の孔子像は、あぐらの座像で司寇冠をかぶっていたという。初期には向かって右に顔子思子、左に曽子孟子の像があった。この前に十哲の木主が向かい合うように置かれた。

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