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日本の孔子廟

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年12月29日 (木)

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萩明倫館聖廟の遺構(海潮寺本堂)
萩明倫館模型(萩明倫学舎展示)
萩明倫館聖廟の神主(位牌)の模型(萩明倫学舎展示)

日本の孔子廟儒教創始者の孔子を祀る。

目次

一覧

足利学校大成殿(栃木県足利市)

古代

  • 王仁の聖堂:大阪府松原市岡。王仁が創建した孔子廟。跡地に出岡弁財天がある。
  • 藤原京大学寮:671年に大学寮の前身とみられるものがあったとみられ(日本書紀)、一説には689年公布の飛鳥浄見原令で大学寮と改称されたという。続日本紀に701年2月に初めて釈奠が行われたとあり、この頃には孔子廟が成立していたとみられる。また大宝律令学令にも大学と全国の国学で釈奠を行うように定めた。
  • 平城京大学寮:735年に吉備真備が帰国して釈奠の祭式を整備。767年には日本特有の釈奠講学式というものが実行されている。
  • 平安京大学寮:927年の延喜式に孔子廟に関する具体的な記述が初めて登場。釈奠の式次第も詳しい。1119年、廟堂院は雨漏りしていたが修理されなかった。1122年に破損。1177年、大学寮焼失して廃絶したが、釈奠のみは存続し、15世紀まで続いたという。
  • 孔聖神社:香川県綾歌郡綾川町滝宮。瀧宮天満宮境外社。祭神は天神・須佐之雄命・孔子。菅原道真が釈奠を行った旧跡という。孔子像には838年(承和5年)の銘があるという。旧称は久正大権現。通称は久正神社、権現神社。憲正寺の裏にある。
  • 国学
  • 大宰府学校院

中世

近世

都道府県 種類 名称 所在地 概要
02 青森県 弘前藩 藩校 稽古館 青森県弘前市下白銀町 弘前図書館付近。跡地に記念碑。釈奠のための雅楽の習得が奨励された。
03 岩手県 盛岡藩 藩校 作人館 岩手県盛岡市中央通 神廟には大国主命と孔子像が合祀されていた(近世藩校の綜合的研究)。孔子像は盛岡聖堂に現存。
04 宮城県 仙台藩 藩校 養賢堂聖廟 宮城県仙台市青葉区本町 現在の勾当台公園。仙台藩の藩校。1736年(元文1年)、学問所を三番町に開設。明倫館養賢堂と称した。宝暦年間、一番町に移転。1759年(宝暦9年)養賢堂と改称。1777年(安永6年)聖像を奉斎する。1808年(文化5年)改築計画が始まり、大槻清準の立案で周代明堂の制度に基づく整備を実施。1817年(文化14年)講堂が竣工。1819年(文政2年)に聖廟を建立。左廟右講の配置だった。明治維新後は仙台県庁舎(宮城県庁舎)となった。1945年(昭和20年)遺構は仙台大空襲で焼失。正門が泰心院に現存。
05 秋田県 秋田藩 藩校 明徳館聖廟 秋田県秋田市中通 跡地に記念碑。聖廟があり、釈奠が行われていた。
06 山形県 庄内藩 藩校 致道館聖廟 山形県鶴岡市馬場町 庄内藩の藩校。遺構が現存する。1805年(文化2年)2月、当初は大宝寺内(鶴岡市山王町)に開校した。同月30日が釈奠が行われた。聖廟、講堂、神庫などが完備していた。絵像聖像(現存)は海老島村の藩医の邸内神農堂の絵像を、1804年(文化1年)9月、神庫の落成と共に納められた。顔淵絵像は1801年(享和1年)5月15日に谷文晁が湯島聖堂より写したものという。1815年(文化12年)、致道館の城内移転が決定。1816年(文化13年)1月29日、旧校舎にて告遷祭を斎行。9月27日、先聖(孔子)先師(顔淵)の神輿が150人の行列で西御門から講堂に入り、釈奠が行われた。2月、城内に移転した。1817年(文化14年)8月に完成した。朱子学ではなく荻生徂徠の学風を伝えた。1873年(明治6年)6月に廃校。1875年(明治8年)8月、致道館は鶴岡県庁舎となり、県令三島通庸が旧聖廟を鶴岡神社とし、天神地祇と出羽三山の神霊を合祀した。1876年(明治9年)8月に鶴岡県廃止とともに庁舎と神社は廃止。1878年(明治11年)8月、聖廟と廟門は下山添八幡神社の拝殿・神門として移築された。1907年(明治40年)御居間・講堂を残して解体された。致道館跡は1951年(昭和26年)国史跡に指定。1965年(昭和40年)から致道館跡の復元計画が始まり、1969年(昭和44年)に旧聖廟が下山添八幡神社から致道館跡に戻された。現在、釈奠を2月と8月に実施。旧地に「聖廟旧趾碑」が建つ。(『致道館記』[1]
米沢藩 藩校 興譲館先聖殿 山形県米沢市中央 米沢藩の藩校。聖堂が移転改築されて現存。儒医矢尾板三印が邸内に祀った聖堂が起源。1697年(元禄10年)、藩主上杉綱憲がこれを接収して藩費で聖堂を建て学問所を整備し、藩士金沢彦六に彫らせた孔子像を納めて感麟殿と称した。のち1776年(安永5年)に藩主上杉鷹山が藩校興譲館を設置し、感麟殿の孔子像を継承して聖堂に祀った。1785年(天明5年)に「先聖殿」の扁額を下した。1864年(元治1年)の火災で焼失。門東町の武芸所に移転し、聖堂などを再建した。1888年(明治21年)、この聖堂は北堀端の米沢中学校に移築されたがこの時、4分の1の大きさに縮小改築された。1911年(明治44年)御守町の財団法人米沢図書館に移築。1938年(昭和13年)関東町の米沢興譲館中学に移転。1944年(昭和19年)頃、法泉寺庭園に遷座され、興譲館先聖殿として現存している。跡地に記念碑。
07 福島県 会津藩 不詳 講所孔子廟 福島県会津若松市 松平正容、1689年(元禄2年)学問所「講所」と孔子廟を創設。山崎闇斎が保科正之に献上した孔子像を祀ったという。町講所(稽古堂)に対して郭内講所と呼ばれた。のち東西講所に分かれた。
会津藩 藩校 日新館大成殿 福島県会津若松市 1803年(享和3年)創設。大成殿、諏訪神社があった。神道方が置かれたのは特色。天文台が現存。別の地に文化施設として再現されている。
白河藩 藩校 立教館 福島県白河市会津町 跡地に記念碑。床の間に孔子像のほか、「大神宮の御祓」(神宮大麻)を掲げていた。松平定信の国学傾倒のためという。国史大辞典には「寛政以来、聖堂を設けず釈奠も行わず」とある。
08 茨城県 水戸藩 藩校 弘道館孔子廟 茨城県水戸市 1841年(天保12年)建立。最大規模の藩校。正門、正庁、至善堂など現。戦災で焼失した孔子廟や鎮守の水戸・鹿島神社が再建されている。
水戸藩 郷校 延方学校 茨城県潮来市須賀 県立潮来高等学校のそば。水戸藩の郷校。文化初年、井村松亭が金沢藩士沢田平格を招いて開校。1807年(文化4年)、内田山上に聖廟を建立。1820年(文政3年)(1810年(文化7年)とも)、聖堂を新たに建設した。徳川治紀下賜の「至聖文宣王」軸を祀り、1817年(文化14年)には代わって徳川斉脩筆の「至聖先師孔子神位」の木牌を奉安した。1872年(明治5年)廃校。1878年(明治11年)、聖廟は潮来市辻の二十三夜尊堂(月読神社とも)として移築され現存する。当初の旧堂も恵雲寺の七面堂として現存する。
09 栃木県
10 群馬県 前橋藩 藩校 好古堂 群馬県前橋市 講義のときには床の間に朱子像を祭り、講師は祭文を読んでから始めた。
11 埼玉県 岩槻藩 藩校 遷喬館 埼玉県さいたま市岩槻区本町 菅神廟、学舎、武芸稽古所などがあった。
12 千葉県 佐倉藩 藩校 成徳書院 先聖殿があった。江戸藩邸にも聖廟があった(孔子像が現存)。跡地に石碑。扁額など現存。
13 東京都 幕府 湯島聖堂 東京都文京区湯島 昌平坂学問所。東京大学の前身。
14 神奈川県
15 新潟県 高田藩 藩校 修道館 新潟県上越市 1866年(慶応2年)、八意思兼神、菅原神、忌部神(近世藩校の綜合的研究)。
峰岡藩 藩校 入徳館 新潟県新潟市西蒲区峰岡 1837年(天保8年)以来、毎年1月11日、孔子像を祀った。1870年(明治3年)5月、神壇を設けて八意思兼命・武甕槌命を合祀(近世藩校の綜合的研究)。
幕領 官学 修教館 新潟県佐渡市 佐渡奉行所付の学問所。1825年(文政8年)儒学者田中葵園の建言で開設。孔子廟を建てた。
16 富山県 富山藩 藩校 広徳館 富山県富山市桜木町 春秋の釈奠を実施していた。謝時中筆の孔子画像が富山県立図書館に現存する[2]
17 石川県 金沢藩 藩校 明倫堂 石川県金沢市兼六町 大成殿があった。金沢神社が鎮守だった。祀られていたと思われる朱舜水筆の「至聖先師孔子神位」が現存か[3]
18 福井県 福井藩 藩校 明道館 1855年(安政2年)松平春嶽筆の「孔子神位」が現存する。
19 山梨県
20 長野県 上田藩 藩校 明倫堂 長野県上田市大手 1813年(文化10年)開校。1820年(文政3年)に聖堂(大成殿)建立。1892年(明治25年)に城跡公園に移築され料理屋として使われたが、1979年(昭和54年)に解体された。扁額「明倫堂」が現存する。
高遠藩 藩校 進徳館 長野県伊那市高遠町東高遠 高遠城内にあった。高遠藩の藩校。一部建物が現存。1860年(万延1年)閏3月28日、藩主内藤頼直が建立。学問所内の教場の北側の一間を聖廟(聖壇とも)とし、孔子と四賢子の木像(五聖像)を祀った。像は領民から寄進されたもので、湯島聖堂の絵像を写したのをもとに彫刻させたという。1872年(明治5年)廃止。1886年(明治19年)まで学校として使われた。現存。パンフレット[4]
高島藩 藩校 国学校 長野県諏訪市 1869年(明治2年)創設。建御名方神・八意思兼神・国学四大人(近世藩校の綜合的研究)。
21 岐阜県 加納藩 藩校 文武館 岐阜県岐阜市加納 孔子に日本武尊と菅原道真を配祀した(近世藩校の綜合的研究)。
岩村藩 藩校 知新館 岐阜県恵那市岩村町坂下町? 岩村藩の藩校。1703年(元禄16年)松平乗紀が城下の新市場に開校。文武所と称した。のち殿町に移転し、知新館と改称した。釈奠の間がある。1983年(昭和58年)岩村城藩主邸跡に移築され現存。後身とされる小学校では釈奠が行われている。
大垣藩 藩校 致道館 岐阜県大垣市東外側町 大成殿があった。跡地に記念碑がある。敬教堂。
苗木藩 藩校 (日新館) 岐阜県中津川市苗木 城山病院の場所。菅原大神・八意思兼大神・忌部大神・荷田氏・賀茂氏・本居氏・平田氏(近世藩校の綜合的研究)。
22 静岡県 沼津藩 藩校 (明親館) 静岡県沼津市 演武場に摩利支天日本武尊の画像を祀った(近世藩校の綜合的研究)。
23 愛知県 名古屋藩 藩校 明倫堂 愛知県名古屋市 名古屋藩の藩校。1633年(寛永10年)2月、徳川義直、名古屋城二の丸内に聖堂「先聖殿」を創建し、釈奠を行った。湯島聖堂の前身となる聖堂を江戸に建てた翌年に当たる。扁額が徳川美術館に現存[5]。1629年(寛永6年)以前の創設とも?。創建時の旧堂宇(八角堂)は1724年(享保9年)、水主町にあった法蔵寺の本堂として移築された(1931年(昭和6年)焼失。)。1824年(文政7年)移築。廃絶。旧聖堂が岐阜県羽島市の永照寺に現存。
24 三重県 津藩 藩校 有造館 三重県津市東丸之内 津藩の藩校。1820年(文政3年)3月、開校。大成殿があった。吉備公と菅公を配祀(近世藩校の綜合的研究)。跡地に石碑が建つ。入徳門のみ現存する。
津藩 藩校 崇広堂 三重県伊賀市上野丸之内 津藩の藩校。有造館の支校。大成殿があった?。吉備公と菅公を配祀(近世藩校の綜合的研究)。
菰野藩 藩校 (修文館) 三重県三重郡菰野町菰野 維新後、顕道館と改称。誉田天皇と藩祖土方雄氏を祭神とした。(近世藩校の綜合的研究)。
25 滋賀県 彦根藩 藩校 稽古館 滋賀県彦根市金亀町 彦根藩の藩校。遺構が現存。1799年(寛政11年)開校。講堂の中央に孔子と八幡神を祀った。1830年(天保1年)弘道館と改称。1869年(明治2年)文武館と改称。1872年(明治5年)廃校。跡地は彦根市立西中学校の地。1923年(大正12年)、講堂は中央町に移築され金亀会館として現存する。
26 京都府 朝廷 官学 学習院 京都府京都市 釈奠を行っていた。
私塾 講習堂 京都府京都市中京区土橋町 1637年(寛永14年)松永昌三が創設。釈奠を行っていた。1889年(明治22年)廃絶。尺五堂。
宮津藩 藩校 礼譲館 京都府宮津市柳縄手 文武館。廃絶。聖廟。
27 大阪府
28 兵庫県 尼崎藩 藩校 正業館 兵庫県尼崎市開明町 釈奠を行っていた。
林田藩 藩校 敬業館 兵庫県姫路市林田町中構 聖廟、講堂、練武場などがあった。講堂のみ現存。
29 奈良県
30 和歌山県 田辺藩 藩校 修道館 和歌山県田辺市 1791年(寛政3年)聖廟設置し、毎年釈奠を行った。武甕槌神・経津主神・菅原道真を祀った(近世藩校の綜合的研究。修身館は誤りとみられる)。
31 鳥取県 鳥取藩 藩校 尚徳館聖廟 鳥取県鳥取市尚徳 1757年(宝暦7年)2月1日、池田重寛の時代に開校。床の間に宇倍神社(武牟国神)を武神として賀露神社吉備真備)を文神として神号軸を祀り、藩主代参し御太刀御馬代を奉納した。孔子は祭具などが整わず祀らなかったが1758年(宝暦8年)1月18日には孔子の画像をかけて祀ったという記録があるが1762年(宝暦12年)以後には廃止された。聖廟が設けられたのは1852年(嘉永5年)第一次拡張の時。3月に発令され11月に上棟式。12月に聖廟と大文場が落成。1853年(嘉永6年)1月12日、「孔家三代の像」(中央に文宣王孔子、左に泗水侯伯魚、右に〓国公子思)を遷座したという。「両社」を創建したのは1859年(安政6年)第二次拡張の時。吉備真備の奉斎などに疑義があがり、藩主池田慶徳(水戸藩主徳川斉昭の五男)は水戸弘道館水戸鹿島神社にならって尚徳館に武甕槌命を祀るため、1858年(安政5年)12月、京都から賀露神社に武甕槌命を勧請。1859年(安政6年)11月、賀露神社から尚徳館に武甕槌命を勧請して、宇倍神社の武内宿禰と共に新たな社殿に祀った。1860年(万延1年)尚徳館記碑建立。同年、国学局が設置されている。第二次拡張で「学校」と改称した。1869年(明治2年)11月、学校は藩の総学局に改組。教師の職名に「大教正、中教正、少教正」が使われている。1872年(明治5年)廃校。同年、旧両社を東井神社に移築。聖廟は廃絶か。2022年(令和4年)宇倍神社で両社の社(内殿か)が発見される。「藩校尚徳神殿宇倍神社勧請祝詞」[6]。『鳥取県教育史』[7][8]、図面[9]
32 島根県 松江藩 藩校 修道館 島根県松江市 聖像を祀ってきたが皇学校を合併し、素盞鳴尊と大己貴命を祀った。(近世藩校の綜合的研究)。
津和野藩 藩校 養老館 島根県鹿足郡津和野町後田 1786年(天明6年)、下中島堀内に開校。1787年(天明7年)4月竣工。藩主親臨して釈奠を行い、孔子、朱子を祀った。1849年(嘉永2年)11月、国学教師に岡熊臣を招いた。12月1日、増築開館。1853年(嘉永6年)4月16日、焼失。1854年(安政1年)4月1日、移転起工。1855年(安政2年)閏7月13日、再建竣工。この時、大国主命楠木正成を祀った。10月10日、福羽美静が教師となる。1867年(慶応3年)5月25日、養老館に楠公と元武神霊を祀る。祝詞が残る[10]。1869年(明治2年)2月、釈奠式を改定。1872年(明治5年)廃校。1971年(昭和46年)修復。2019年(令和1年)修復。釈奠の祭器が東京国立博物館に現存する。
33 岡山県 岡山藩 藩校? 閑谷学校聖堂 岡山県備前市閑谷
岡山藩 藩校 学校 岡山県岡山市北区蕃山町 1641年(寛永18年)藩主池田光政が建てた花畠教場が前身。1669年(寛文9年)に校舎を建設した。この時、講堂の北に中堂が設けられ、孔子を祀った。維新後も1909年(明治42年)まで学校として使われた。1945年(昭和20年)の空襲で焼失した。
新見藩 藩校 思誠館 岡山県新見市新見 聖廟、講堂、道場などがあった。跡地に記念碑がある。「大成至聖文宣王神位」が新見市立思誠小学校に現存する[11]
備中松山藩 藩校 有終館 岡山県高梁市中之町 講堂の一番奥にに祭壇があった。跡地に記念碑がある。
34 広島県 広島藩 藩校 修道館 広島県広島市 広島藩の藩校。学問所の一室を聖廟として浅野重晟筆の「至聖先師孔子神位」の木主を祀っていた。木主は修道中学校・修道高等学校に現存する[12]
福山藩 藩校 誠之館 広島県福山市霞町 1786年(天明6年)、弘道館を福山城西の堀端に開校。1854年(安政1年)、弘道館と東邸学校を改組して誠之館を開校した。講堂の最上段の間を孔子堂とした。孔子像は江戸藩邸の東邸学校(丸山学問所)にあった明代の銅像(現存)で幕末に誠之館に移された。維新後、武甕槌神・八意思兼神・事代主神に改めた(近世藩校の綜合的研究)。1872年(明治5年)廃校。遺構の一部は福山誠之館高等学校に移築。1933年(昭和8年)、学堂の玄関と新築の主屋を組み合わせて記念館を開設。
35 山口県 山口藩 藩校 萩明倫館聖廟 山口県萩市江向
山口藩 藩校 山口明倫館
山口藩 (藩校) (萩医学校好生堂) 山口県萩市瓦町 1842年(天保13年)創設。神農を祀る。青木周弼の建言で大己貴命少彦名命に改祀する(近世藩校の綜合的研究)。山口に移転。跡地に記念碑。
山口藩 郷校 徳修館 山口県周南市安田 1809年(文化6年)、三丘領主宍戸就年が創設。1846年(弘化3年)、萩明倫館を模して建設した建物が現存。釈奠が行われている。
山口藩 郷校 育英館 山口県萩市須佐 1735年(享保20年)、益田元道が創設。
36 徳島県 徳島藩 藩校 長久館 徳島県徳島市徳島町城内 2月8月に釈奠。講堂の高間の床の間に聖像を掲げて藩主臨席で祀った。(『日本教育史資料』「祭儀」)
37 香川県 高松藩 藩校 講道館 香川県高松市 中野天満神社に接して建てられた。大聖廟があった。大聖廟の孔子像は道明寺天満宮大成殿に奉遷された。
38 愛媛県 小松藩 藩校 養正館孔子廟 愛媛県西条市小松町新屋敷 常盤神社内に遷座。
大洲藩 藩校 止善書院明倫堂 愛媛県大洲市大洲 陽明学を主とした。孔子像に加え王陽明中江藤樹の像を配して祀った。中江藤樹の祭祀は創設者の川田雄琴が師の三輪執斎から継承したもの。矢野玄道らを輩出。
39 高知県 高知藩 藩校 致道館 高知県高知市丸ノ内 文武館。1862年(文久2年)開設。一間を聖堂としていたか。
40 福岡県 福岡藩 藩校 修猷館 福岡県福岡市中央区赤坂 東西学問所のうち東学問所。1784年(天明4年)2月6日、孔子画像を掲げて開校式が営まれた。聖廟も釈奠もなかったが毎年1月8日に孔子画像を講堂に祀り、酒供物を供え、告文を奏上し香を焚いた。画像は狩野典信が描いたもので、家老大音伊織が藩に献納した。画像は福岡県立修猷館高等学校に伝来する。(「九州の釈奠と孔子像」)
秋月藩 藩校 稽古館 福岡県朝倉市秋月野鳥 聖廟も釈奠もなかったが1月6日に床の間に聖像を祀った。朝倉市秋月博物館の地にあった。(「九州の釈奠と孔子像」)
久留米藩 藩校 明善堂 福岡県久留米市 1785年(天明5年)創設。初期には修道館と称した。孔子像・孟子像があり、釈奠を行っていた。孔子像・孟子像は高良大社を経て福岡県立明善高等学校にあったが、1939年(昭和14年)焼失。(「九州の釈奠と孔子像」)
柳川藩 藩校 伝習館 福岡県柳川市 1665年(寛文5年)、朱舜水が江戸に赴く途中に柳川に立ち寄り安東省菴に孔子像3体を贈呈。1760年(宝暦10年)、柳川藩、安東間菴邸内に学問所と聖堂を建て孔子像を祀る。1761年(宝暦11年)2月、釈菜。十哲画像もあった(「九州の釈奠と孔子像」)。1825年(文政8年)1月、伝習館が設立され、孔子像が遷された。紆余曲折を経て1932年(昭和7年)、県立中学伝習館に寄贈。同年10月20日に孔子祭を実施し、以後毎年現在も行っている。[13]
小倉藩 藩校 思永館 福岡県北九州市小倉北区城内 孔子と十哲の画像があった。1845年(弘化2年)、青銅の孔子像に替えられた。以後、釈奠が行われた。銅像は湯島聖堂のものと全く同一で、漢代の李敬明の鋳像という。幕末の兵火で焼失。(『行橋市史』[14]、「九州の釈奠と孔子像」)
41 佐賀県 佐賀藩 藩校 鬼丸聖堂 佐賀県佐賀市鬼丸町 1691年(元禄4年)に佐賀城二の丸に創建。孔子・四配・六君子を祀った。1700年(元禄13年)、観頤荘内に遷座。1708年(宝永5年)、釈菜を始める。1846年(弘化3年)、弘道館内に遷座。のち廃絶。古賀精里らを輩出。 聖像は現存。(「九州の釈奠と孔子像」)
佐賀藩 私塾 大財聖堂 佐賀県佐賀市大財 武富廉斎が1694年(元禄7年)創建。廃絶。大宝聖堂。
佐賀藩 郷校 多久聖廟 佐賀県多久市多久町 東原庠舎が起源。1846年(弘化3年)再建。
佐賀藩 郷校 東原庠舎 佐賀県多久市多久町 多久聖廟の「元宮」みたいなものか。多久聖廟成立後も存続し、孔子像が祀られた。孔子像は明治に白木聖廟に遷された。
小城藩 藩校 興譲館 佐賀県小城市小城町 学寮。小城市立桜岡小学校の体育館あたりにあった。記念碑がある。1月5日開講式に孔子鋳像に拝礼し経書講義。(「九州の釈奠と孔子像」)
鹿島藩 藩校 弘文館 佐賀県鹿島市高津原 跡地に記念碑。1787年(天明7年)以前の創設。画像を講堂に掛け春秋に釈奠。(「九州の釈奠と孔子像」)
蓮池藩 藩校 成章館 佐賀県佐賀市蓮池町 1784年(天明4年)創設。2月8日、藩主臨席で講堂正面に神位を設けて孔子画像を掛けて釈菜。(「九州の釈奠と孔子像」)
42 長崎県 幕領 私塾 中島聖堂 長崎県長崎市上町 立山書院。1647年(正保4年)儒者向井元升が東上町(長崎市上町・玉園町)に聖堂と学舎を建てて開校。1663年(寛文3年)大火で類焼。1710年(宝永7年)、旧鋳銭所跡(伊勢町)に移転し、1711年(正徳1年)8月再建を果たした。崇聖祠(孔子の祖先を祀るか)もあった。明治初年に廃校。1959年(昭和34年)に長崎興福寺に移築した。長崎聖堂。
平戸藩 藩校 維新館 長崎県平戸市岩の上町 平戸城内。聖堂や稽古館などがあった。2月8月上丁に釈菜。孔子像と十哲画像(狩野典信画)が松浦史料博物館に現存。(「九州の釈奠と孔子像」)
島原藩 藩校 稽古館 長崎県島原市先魁町 1793年(寛政5年)開設。1834年(天保5年)拡張ののち、先聖廟に孔子像を祀ったという。2月・8月(のち2月上丁)に釈菜。1月5日に孔子に拝礼した。(「九州の釈奠と孔子像」)
大村藩 藩校 五教館 長崎県大村市玖島 集義館、静寿園とも。御成門が現存。2月8月上丁に釈奠。孔子・四配・瀧口文治を祀る。(「九州の釈奠と孔子像」)
五島藩 藩校 育英館 長崎県五島市栄町 聖廟があった。2月・8月に釈奠。長崎地方裁判所五島支部のあたりにあった。(「九州の釈奠と孔子像」)
厳原藩 藩校 日新館 長崎県対馬市厳原町桟原 大門が現存する。3月9月の8日に聖像(鋳像か木像)を祀り供物を供え、孝経講義。ついで春秋丁日に孔子神位を講堂に設けて供物を供えるようになった。(「九州の釈奠と孔子像」)
43 熊本県 熊本藩 藩校 時習館 熊本県熊本市中央区二の丸 1755年(宝暦5年)創設。釈奠は行われていなかったという。孔子像が現存。(「九州の釈奠と孔子像」)
宇土藩 藩校 温知館 熊本県宇土市新小路町 1763年(宝暦13年)創設。正月開講日に聖像に拝礼。(「九州の釈奠と孔子像」)
44 大分県 岡藩 藩校 修道館 大分県竹田市竹田 岡藩の藩校。講堂の一部を聖堂としていた。1月5日の学事始のときに孔子画像を祀っていた。(「九州の釈奠と孔子像」)
臼杵藩 藩校 学古館 大分県臼杵市臼杵 臼杵市立臼杵小学校体育館のあたりにあった。江戸時代は菅原道真を祀っていた。1869年(明治2年)8月には藩主臨席で孔子を祀り、以後恒例とした。(「九州の釈奠と孔子像」)
日出藩 藩校 致道館 大分県速見郡日出町 一部建物が移築現存。藩主臨席で春秋に釈奠を行っていた。詳細な釈奠次第が残るという。1月12日の開講日に聖像に香を焚いて礼拝した。孔子像は唐代の呉道玄のものと伝える。(「九州の釈奠と孔子像」)
佐伯藩 藩校 四教堂 大分県佐伯市大手町 1777年(安永6年)藩主毛利高標が創設。玄関ノ間の床の間に孔子像を祀っていた。佐伯小学校に門が残る。1月5日に香を焚いて拝礼。(「九州の釈奠と孔子像」)
森藩 藩校 修身舎 大分県玖珠郡玖珠町森 2月に釈奠を行っていた。(「九州の釈奠と孔子像」)
府内藩 藩校 遊焉館 大分県大分市荷揚町 ゆうえんかん広場。祭典はなかったが、1月11日の稽古始に聖像を床の間に掛けて講義。(「九州の釈奠と孔子像」)
杵築藩 藩校 学習館 大分県杵築市杵築 御成門が杵築小学校の校門として現存。2月上丁日に藩主臨席で孔子画像をかけて釈菜。孔子画像は呉道春筆画像を片山東離が模写したもの。(「九州の釈奠と孔子像」)
中津藩 藩校 進脩館 大分県中津市片端町 1790年(寛政2年)開設。聖堂があり、釈奠が行われていた。(「九州の釈奠と孔子像」)
45 宮崎県 飫肥藩 藩校 振徳堂 宮崎県日南市飫肥 飫肥藩の藩校。1831年(天保2年)、開校。門と玄関などが現存するが、講堂・聖堂は現存しない。講堂の上段の間を聖堂として孔子像を安置した。開講日に供物を供えた。像が現存か。(「九州の釈奠と孔子像」)
高鍋藩 藩校 明倫堂 宮崎県児湯郡高鍋町上江 農業高校運動場の西北に記念碑。正月開講日に朱子像、また二程子像、または聖像を掛けたという。(「九州の釈奠と孔子像」)
46 鹿児島県 鹿児島藩 藩校 造士館 鹿児島県鹿児島市山下町 中央公園。湯島聖堂を模して造営。聖堂などがあった。春秋の釈奠が盛大に行われていた。跡地に記念碑がある。孔子・十哲の木像があったが1945年(昭和20年)の空襲で焼失。(「九州の釈奠と孔子像」)

近現代

  • 漢学所皇学所と争う
  • 大学校:学神祭論争が起きる。
  • 白木聖廟:佐賀県杵島郡江北町山口白木。東原庠舎にあった孔子像を祀る。白木は多久聖廟の領田だった。1881年(明治14年)に像を迎えて1888年(明治21年)聖廟を造営した。聖廟神社、孔廟神社などと呼ばれることも。
  • 長崎孔子廟:長崎県長崎市大浦町。清国政府と華僑有志が1893年(明治26年)に創建。日本で最初の純中国式の孔子廟。
  • 道明寺天満宮大成殿:大阪府藤井寺市道明寺。道明寺天満宮境内。1903年(明治36年)建立。
  • 哲学堂:東京都中野区松が丘にある霊廟。祭神はソクラテスカント、孔子、釈迦。1904年(明治37年)井上円了が創建。
  • 白藤学園聖廟:奈良県奈良市三条宮前町。奈良女子高校内にある。越智宣哲が1893年(明治26年)、天理市に正気書院を設立。1901年(明治34年)奈良市に移転。1912年(大正1年)、聖廟を創建。1951年(昭和26年)学校法人白藤学園となる。
  • 田丸孔子廟:三重県度会郡玉城町佐田。小林政太郎が1915年(大正4年)建立。明末作という孔子像・孟子像・子思像を祀った。廃絶。跡地に記念碑がある。玉城郵便局の裏。古写真[15]
  • 松殿山荘聖賢堂:京都府宇治市木幡南山にある霊廟。円形の聖堂には聖徳太子、釈迦、孔子を祀り、 方形の賢堂には千利休、小堀遠州ら茶道に関する三十六賢人を祀る。1924年(大正13年)建立。
  • 保土ケ谷大正殿:神奈川県横浜市保土ケ谷区岩間町。沿革不詳。[16]
  • 八聖殿:神奈川県横浜市中区本牧元町にある霊廟。祭神はキリストソクラテス孔子釈迦、神鏡、聖徳太子弘法大師親鸞日蓮。1933年(昭和8年)創建。
  • 盛岡聖堂:岩手県盛岡市にある孔子廟。1936年(昭和11年)建立。孔子像は盛岡藩の藩校作人館神廟に祀られていたもの。
  • 有源招魂社:大阪府四條畷市南野。四條畷神社境内にある。1969年(昭和44年)、成人教学研修所が飯盛山東峰の有源山に安岡正篤、聖徳太子、王仁、孔子など先哲29柱と、関西実業人を祀る祭殿を創建。成人教学研修所の閉所に伴い2003年(平成15年)4月に四條畷神社に有源招魂社として奉遷。2007年(平成19年)4月7日、新社殿を建てた。先哲29柱は池田草庵、菅原道真、伝教大師、春日潜庵、佐藤一斎、中江藤樹、本居宣長、水戸光圀、山田方谷、聖徳太子、杉浦重剛、山鹿素行、元田永孚、山崎闇斎、弘法大師、伊藤仁斎、安岡正篤、熊沢蕃山、野中兼山、孔子、李退渓、張横渠、老子、曽子、顔回、王陽明、王仁博士、思子、子貢。
  • 東日本国際大学大成殿:福島県いわき市平鎌田寿金沢。1989年(平成1年)6月、建立。
  • 菊池孔子廟:熊本県菊池市泗水町豊水。1992年(平成4年)開設。
  • 筑紫聖堂:福岡県福岡市西区能古。亀陽文庫能古博物館にある。1995年(平成7年)5月5日創建。

資料

  • 『日本教育史資料』諸藩の部祭儀[17]:江戸時代の釈奠。
  • 飯田須賀斯1941「江戶時代の孔子廟建築」[18]
  • 笠井助治1960『近世藩校の綜合的研究』[19]
  • 石川謙1960『日本学校史の研究』[20]
  • 菅野誠1973『日本学校建築史 足利学校から現代の大学施設まで』
  • 鈴木三八男編1974『日本の孔子廟と孔子像』
  • 城戸久・高橋宏之1975『藩校遺構―江戸時代の学校建築と教育』
  • 箱崎和久2011『日本の美術538近世の学校建築』
  • 市橋一郎2019「日本の孔子廟の変遷についての一考察」『足利学校紀要・学校』17
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%AD%94%E5%AD%90%E5%BB%9F」より作成

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