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甚目寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
甚目寺
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'''甚目寺'''(じもくじ)は愛知県あま市甚目寺にある[[観音信仰]]の[[真言宗]]寺院。[[真言宗智山派]]。山号は鳳凰山。[[善光寺遷座旧跡]]。 古代瓦が出土しており、白鳳時代の創建と推定されている。 縁起によると推古5年、甚目連龍麿という漁夫が漁の網で観音菩薩を拾い祀ったのが始まり。 この観音像は、[[善光寺如来]]とともに[[物部守屋]]に捨てられた仏像3体のうちの1体であるともいう(もう1体の[[勢至菩薩]]は、[[太宰府・安楽寺]]([[太宰府天満宮]])にあると言われるが、太宰府にはそのような伝えはないようだ)。 [[天智天皇]]の病気平癒祈願により勅願寺となり、東門に「法皇寺」の勅額が掲げられたという。 853年、1103年に修造。1124年地震で被災。1126年に修復。1196年、1200年に造営。 1283年(弘安6年)、[[一遍]]が参詣。 1582年(天正10年)6月、[[信長]]の子・織田信雄が[[岐阜・善光寺|岐阜]]から善光寺如来を遷座させる。同年、[[徳川家康]]が[[鴨江寺]]に遷座させた。 1593年、[[天台宗]]から真言宗に改宗した。 1595年、[[豊臣秀吉]]、300石寄進。 善光堂に善光寺如来も祀るというが現存不詳。前庭に「善光寺如来御遷座紀念塔」がある。のちの[[善光寺大本願|大本願]]上人、智慶は甚目寺の尼僧だった。 ==子院== 網衆、網之坊、阿弥之坊、甚目寺三家などと呼ばれる妻帯世襲の3坊があり、甚目龍麿の末裔を称した。 *一乗院:唯一の天台宗。18石5斗。密蔵院、または観心院の末寺だった。明治初年、愛西市大野山町に移転。旧称は円蔵院。 *法花院:本尊は聖観世音菩薩。598年創建。1196年再興。甚目寺学頭。40石。本堂など明治40年再建。旧称は法華院。 *東林坊:本尊はもと十一面観音だったが、濃尾地震で倒壊し、旧不動坊の本尊を移して不動明王。40石。甚目寺一山の別当職だった。昭和23年、大徳院に合併。宝蔵を管理。弁財天社を管理。境内に荼吉尼天堂。旧称は藤林坊。 *普門院:本尊は不動明王。17石。昭和3年、名古屋市松ケ枝に移転。 *光明寺:本尊は阿弥陀如来。13石。甚目寺の奥の院と呼ばれた。白山秋葉など三社を管理。1196年創建。旧称は光明院、光明坊 *龍泉院:本尊は聖観音。13石。旧称は立泉坊、龍泉坊。明治37年、名古屋市中畑に移転。 *成就院:本尊は聖観音。1196年中興。13石。本堂など大正5年再建。旧称は安楽坊。 *性徳院:本尊は弘法大師(甚目寺弘法堂)。古くは海東郡大野村にあったが、洪水で廃絶。空海、十一面観音、地蔵を移した。13石。明治34年、倒壊。大正4年、快秀が再興。氏善山聖徳院とも。 *不動坊 *福寿坊:本尊は聖観音。13石。大正2年、釈迦院に合併。 *釈迦院:本尊は十一面観音。推古天皇時代の創建。智慶が再興し、歴代の尼僧は京都長福寺に師事した。釈迦堂を管理した。釈迦堂の隣にあったが1667年、移転。3石5斗。旧称は「比丘尼所」で、明治以降、釈迦堂を称したが大正2年、福寿坊を合併し、釈迦院と改称した。智慶像がある。 *大徳院:本尊は恵比寿・大黒天。1196年創建。17石。旧称は宝蔵院、宝蔵坊。 *西網之坊:本尊は如意輪観音。甚目龍麿の末裔が妻帯世襲する網衆の一。本尊を守護する。5石5斗。昭和10年、東篠に移転。 *東網之坊:本尊は観音。甚目龍麿の末裔が妻帯世襲する網衆の一。本尊を守護する。5石5斗。戦後、廃絶。 *本網之坊:本尊は観音。甚目龍麿の末裔が妻帯世襲する網衆の一。本尊を守護する。明治維新で還俗。 ==関連旧跡== *円周寺:真宗大谷派。元は甚目寺一山の天台宗寺院だったが、太子堂と称したが1222年、住職円周が親鸞に帰依。太子山円周寺と称する。1661年移転。 *光明寺:時宗。一遍参詣の前年の1282年他阿真教が創建。萱津道場。古くは72僧寮があり栄えたが豊臣秀吉に寺領を没収され衰退した。江戸時代10石となる。1635年焼失。1643年再建。 *法性寺:「甚目寺の本坊」だったとも。 [[category:愛知県]]
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