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甚目寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2026年3月25日 (水)
甚目寺(じもくじ)は愛知県あま市甚目寺(尾張国海部郡)にある観音信仰の真言宗寺院。真言宗智山派。山号は鳳凰山。善光寺遷座旧跡。
目次 |
奉斎
歴史
- 白鳳時代:古代瓦が出土しており、白鳳時代の創建と推定されている。
- 597年(推古5年):縁起によると甚目龍麿という漁夫が漁の網で観音菩薩を拾い祀ったのが始まり。この観音像は、善光寺如来とともに物部守屋に捨てられた仏像3体のうちの1体であるともいう(もう1体の勢至菩薩は、太宰府・安楽寺(太宰府天満宮)にあると言われるが、太宰府にはそのような伝えはないようだ)。
- 天智天皇時代:天智天皇の病気平癒祈願により勅願寺となり、勅使を遣わし、宝鏡(瑞花双鳥八稜鏡が現存)を納めた。
- 679年(天武8年):天武天皇、東門に「法皇寺」の勅額が掲げられたという。
- 853年(仁寿3年)8月8日:甚目僧麻呂が堂宇を建て始める。
- 854年(斉衡元年)2月21日:完成。
- 1103年(康和5年)1月17日:藤原連長と智能、大江重房らが修造。
- 1124年(天治元年)2月1日:地震で被災。
- 1126年(大治元年)春:大江為道、その娘、長谷部氏らにより修復。
- 1196年(建久7年):聖観による大規模な造営事業が始まったという。2月10日、材木切出、斧入れ。
- 1197年(建久8年)1月29日:造営始める。4月24日、礎石を据える。5月8日立柱。7月11日棟上。
- 1200年(正治2年)7月26日:屋根葺き始め。
- 1201年(建仁元年)11月3日:竣工。18日落慶法要。勅使安部資元が参向。(聖観の造営の日付には諸伝がある。)
- 1283年(弘安6年):一遍が参詣。
- 建武頃:甚目寺庄はこの頃、京都勧修寺の荘園となる。
- 1458年(長禄2年):梵鐘鋳造。岐阜本誓寺に現存。
- 1582年(天正10年)6月:織田信長の子・織田信雄が岐阜から善光寺如来を遷座させる。同年(翌年?)、徳川家康が鴨江寺に遷座させた。のちに大本願上人となる智慶は甚目寺の尼僧だったという。
- 1585年(天正13年):地震で損壊。
- 1589年(天正17年)10月14日:再建を長谷寺を模したともいう。
- 1593年(文禄2年):天台宗から真言宗に改宗した。
- 1595年(文禄4年):豊臣秀吉、300石寄進。
- 1627年(寛永4年):三重塔造営
- 1644年(正保元年):仁王門修復。
- 寛永年間:大須観音の末寺となる。
- 1695年(元禄8年):聖観500年忌
- 明治初年:神仏分離で八大明神社(漆部神社)など分離。
- 1883年(明治16年)7月19日:火災で本堂など焼失。
- 1885年(明治18年):本堂など再建。
- 1887年(明治20年)2月:八大明神社、本殿再建。
- 1891年(明治24年)10月28日:濃尾地震で本堂など倒壊。大打撃となる。
- 1896年(明治29年)10月20日:本堂など再建。
- 1897年(明治30年):甚目龍麿1250年忌。
- 1902年(明治35年):仁王門修復に際して古代瓦が多数出土
- 1957年(昭和32年)10月21日:八大明神社、漆部神社に改称。
- 1992年(平成4年):本堂再建。
| 名称 | 本尊など | 概要 |
|---|---|---|
| 本堂 | 聖観音 | 元禄9年(1696年)再建。1883年(明治16年)火災で焼失。1992年(平成4年)再建。 |
| 釈迦堂 | 釈迦如来・薬師如来・「御狙様」 | 1196年(建久7年)の建立。1873年(明治6年)焼失。1875年(明治8年)再建。1891年(明治24年)濃尾地震で倒壊し、1896年(明治29年)再建。薬師如来は薬師堂の旧仏。「御狙様」は女性の信仰を集めた霊像で、賓頭盧尊者とも、聖観とも、甚目龍麿の妻とも、山田重忠の妻ともいう。「おそそさま」は「尊者様」の訛りとも。 |
| 薬師堂 | 薬師如来 | 薬師如来は元は名古屋東潮寺の本尊だったが1873年(明治6年)に廃寺のために甚目寺に移し、1875年(明治8年)に薬師堂を建てた。1891年(明治24年)、濃尾地震で倒壊。廃絶。釈迦堂に合祀。 |
| 善光寺堂 | 善光寺如来 | 本堂の西側を建てましして善光寺堂としたという。廃絶か。 |
| 地蔵堂 | 地蔵菩薩 | 昔から地蔵堂があったが由緒は不詳。1913年(大正2年)、京都千本釈迦堂から延命地蔵を招いて建立した。六角堂。 |
| 十王堂 | 十王 | 「蔵主」と呼ばれる堂守がいたが維新前に断絶。1928年(昭和3年)、空堂となった旧如意輪堂に十王を祀った。 |
| 如意輪堂 | 如意輪観音 | 1196年(建久7年)の建立と伝える。古くは准胝観音とされ、准泥堂と称していたが、いつしか如意輪観音とされた。1891年(明治24年)濃尾地震で倒壊。1896年(明治29年)再建。1928年(昭和3年)に普門院が名古屋に移転した時、本尊の如意輪観音も普門院と共に遷座。廃絶。堂宇は十王堂となる。 |
| 不動堂 | 不動明王 | 旧護摩堂と思われる。護摩堂は1196年(建久7年)建立。1745年(延享2年)再建。1873年(明治6年)焼失。1875年(明治8年)再建するが1891年(明治24年)濃尾地震で倒壊。1904年(明治37年)再建。 |
| 三重塔 | 愛染明王 | 1627年(寛永4年)建立。 |
| 弘法堂 | 空海 | 1935年(昭和10年)まで祀っていた西網之坊が転出したため1936年(昭和11年)に堂宇を建立。 |
| 籠堂 | 不動明王・覚明・空海 | 安政6年(1859年)建立。1891年(明治24年)濃尾地震で倒壊後、地元の御嶽講が再建。現存しないか。 |
| 明王堂 | 烏枢沙魔明王 | 1196年(建久7年)建立。1876年(明治9年)再建。1891年(明治24年)濃尾地震で倒壊。1896年(明治29年)再建。 |
| 聖天堂 | 歓喜天 | 平重盛が春日井郡の小松寺に奉納した像だという。小松寺の廃絶のため甚目寺に遷座し堂宇を建てた。1891年(明治24年)濃尾地震で倒壊。 |
| 大日堂 | 大日如来 | 文久2年(1862年)建立。1891年(明治24年)濃尾地震で倒壊、1928年(昭和3年)再建。現存不詳。 |
| 開山堂 | 聖観・覚鑁 | 聖観500年忌の1695年(元禄8年)の建立か。1873年(明治6年)焼失。1891年(明治24年)濃尾地震で倒壊。尊像は本堂に合祀。 |
| 阿弥陀堂 | 阿弥陀如来 | 源信作。1873年(明治6年)、焼失。1875年(明治8年)再建されるが1891年(明治24年)濃尾地震で倒壊。廃絶。本尊は本堂に合祀。 |
| 火防観音堂 | 火防観音 | 元は江戸市谷の尾張徳川家屋敷にあり、同家の帰依仏だった。のち下屋敷無量光院に遷座。1873年(明治6年)、甚目寺に移された。1891年(明治24年)濃尾地震で倒壊。廃絶。本尊は本堂に合祀。 |
| 子安観音堂 | 白衣観音 | 1196年(建久7年)、建立。1873年(明治6年)焼失。1875年(明治8年)再建。1891年(明治24年)濃尾地震で倒壊。廃絶。 |
| 漆部神社 | 官社。郷社。旧称は八大明神社、八大神社。 | |
| 日吉神社 | 村社。天台宗寺院だった名残。 | |
| 白山神社 | 1196年(建久7年)創建。1873年(明治6年)焼失。1875年(明治8年)再建。天台宗寺院だった名残。 | |
| 天満宮 | 廃絶 | |
| 金毘羅社 | 廃絶 | |
| 秋葉堂 | 秋葉三尺坊大権現・役小角 | 文政10年(1827年)建立。1891年(明治24年)濃尾地震で倒壊。のち再建。三尺坊堂。 |
| 弁天堂 | 延宝8年(1680年)再建。 | |
| 仁王門 | 1196年(建久7年)の造営と伝える。現存最古の建造物。 | |
| 観音池 | 寺の東南にある。甚目寺観音出現の霊地。 | |
| 宝篋印塔 | 1742年(寛保2年)建立。 | |
| 宝篋印塔 | 1789年(寛政元年)建立。 | |
| 宝篋印塔 | 1821年(文政4年)建立。 | |
| 善光寺如来御遷座紀念塔 | 1912年(大正元年)3月建立。 | |
| 四国霊場 | 1917年(大正6年)か。 | |
| 甚目龍麻呂碑 | 1897年(明治30年)1月、1250年遠忌記念に建立。 | |
| 平和の塔 | 観音菩薩の銅像。1957年(昭和32年)、西南戦争以来の戦没者慰霊のため建立。 | |
| 松平君山塔 | 張州府誌の著者。普門院と交流があった。落歯を収めて塔を建てた。 |
子院
通常の子院の他、比丘尼所や網衆という特殊な坊があった。子院は元々全て天台宗だったと推定される。一乗院以外は真言宗となり、大須観音宝生院か長久寺の末寺だったが、のち全て大須観音末となった。 網衆は網之坊、阿弥之坊、甚目寺三家などと呼ばれる妻帯世襲の3坊で甚目龍麿の末裔を称した。
| 名称 | 本尊など | 概要 |
|---|---|---|
| 一乗院 | 唯一の天台宗。18石5斗。野田密蔵院、または名古屋観心院の末寺だった。明治初年(1868年頃)、愛西市大野山町に移転。旧称は円蔵院。 | |
| 法花院 | 聖観世音菩薩 | 本尊は聖観世音菩薩。598年(推古6年)創建。1196年(建久7年)再興。甚目寺学頭。40石。本堂など1907年(明治40年)再建。旧称は法華院。 |
| 東林坊 | 不動明王 | 本尊はもと十一面観音だったが、1891年(明治24年)濃尾地震で倒壊し、旧不動坊の本尊を移して不動明王。40石。甚目寺一山の別当職だった。1948年(昭和23年)、大徳院に合併。宝蔵を管理。弁財天社を管理。境内に荼吉尼天堂。旧称は藤林坊。 |
| 普門院 | 不動明王 | 本尊は不動明王。17石。1928年(昭和3年)、名古屋市松ケ枝に移転。 |
| 光明寺 | 阿弥陀如来 | 本尊は阿弥陀如来。13石。甚目寺の奥の院と呼ばれた。白山秋葉など三社を管理。1196年(建久7年)創建。旧称は光明院、光明坊。 |
| 龍泉院 | 聖観音 | 本尊は聖観音。13石。旧称は立泉坊、龍泉坊。1904年(明治37年)、名古屋市中畑に移転。 |
| 成就院 | 聖観音 | 本尊は聖観音。1196年(建久7年)中興。13石。本堂など1916年(大正5年)再建。旧称は安楽坊。 |
| 性徳院 | 弘法大師 | 本尊は弘法大師(甚目寺弘法堂)。古くは海東郡大野村にあったが、洪水で廃絶。空海、十一面観音、地蔵を移した。13石。1901年(明治34年)、倒壊。1915年(大正4年)、快秀が再興。氏善山聖徳院とも。 |
| 不動寺 | 不動明王 | 本尊は不動明王。不動坊。598年(推古6年)創建。1196年(建久7年)中興。13石。1887年(明治20年)5月、土田宝幢院と合併して現在地に移転。本尊は東林坊に移された。 |
| 福寿坊 | 聖観音 | 本尊は聖観音。13石。1913年(大正2年)、釈迦院に合併。 |
| 大徳院 | 恵比寿・大黒天 | 本尊は恵比寿・大黒天。1196年(建久7年)創建。17石。旧称は宝蔵院、宝蔵坊。 |
| 釈迦院 | 十一面観音 | 本尊は十一面観音。推古天皇時代(593-628年)の創建。智慶が再興し、歴代の尼僧は京都長福寺に師事した。律僧地で、本尊は八事興正寺の天瑞の作という。釈迦堂を管理した。釈迦堂の隣にあったが1667年(寛文7年)、移転。3石5斗。旧称は「比丘尼所」で、明治以降、釈迦堂を称したが1913年(大正2年)、福寿坊を合併し、釈迦院と改称した。智慶像がある。 |
| 西網之坊 | 如意輪観音 | 本尊は如意輪観音。甚目龍麿の末裔が妻帯世襲する網衆の一。本尊を守護する。5石5斗。1935年(昭和10年)、東篠に移転。 |
| 東網之坊 | 観音 | 本尊は観音。甚目龍麿の末裔が妻帯世襲する網衆の一。本尊を守護する。5石5斗。戦後(1945年以降)、廃絶。 |
| 本網之坊 | 観音 | 本尊は観音。甚目龍麿の末裔が妻帯世襲する網衆の一。本尊を守護する。明治維新(1868年)で還俗。 |
組織
江戸時代は輪番制を取り、子院が交代で「年預」を務めていたが、昭和11年に独住の住職を置くようになった。
関連旧跡
- 円周寺:真宗大谷派。元は甚目寺一山の天台宗寺院で太子堂と称したが1222年、住職円周が親鸞に帰依。太子山円周寺と称する。1661年移転。
- 光明寺:時宗。一遍参詣の前年の1282年他阿真教が創建。萱津道場。古くは72僧寮があり栄えたが豊臣秀吉に寺領を没収され衰退した。江戸時代10石となる。1635年焼失。1643年再建。
- 法性寺:「甚目寺の本坊」だったとも。真言宗豊山派。
資料
専論の研究はない?
- 文永甚目寺縁起:通称は旧縁起。1264年の書写とされる。[1]
- 承応甚目寺縁起:通称は新縁起。1652年の書写。
- 甚目寺文書:10点。1354年〜1613年頃。[2]
- 甚目寺古図:天正地震被災前の境内を描いたもの。1672年書写。釈迦院所蔵。[3]
- 甚目寺図:明治大火以前の境内を描いたもの。江戸時代中期。甚目寺所蔵。紙本着色。[4]
- 甚目寺図:小田切春江画。版本。[5]
- 尾張徇行記:
- 尾張国名所図会
- 風流甚目寺参詣の記:1822年。高力種信著。『甚目寺参り道しるべ』『能知亭折助噺』
- 甚目寺古志記:
- 甚目寺参詣曼荼羅:
- 尾張国海東郡甚目寺略縁起:1805年。[6]
- 石田茂作1936『飛鳥時代寺院址の研究』「甚目寺」[7]
- 甚目寺町史編纂委員会1975『甚目寺町史』「鳳凰山甚目寺」:一番まとまっている。[8]
- 甚目寺町教育委員会1987『甚目寺町文化財調査報告書4甚目寺跡(南大門南)発掘調査概報』
- 甚目寺町教育委員会 1993 『甚目寺町文化財調査報告書6甚目寺遺跡』
- 吉岡郁夫1987「甚目寺町寺院の巴瓦の変遷」『甚目寺跡(南大門南)発掘調査概報』