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田宮寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年1月21日 (土)
(ページの作成:「{|class="wikitable" style="width:350px;" align=right |- |style="text-align:center;background-color:#ededed" colspan="2"|'''田宮寺'''<br>たみやじ <!-- |- |style="tex...」) |
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- | + | [[file:田宮寺-03.jpg|thumb|500px|田宮寺の本堂。後ろに田宮寺神社の社叢が茂る]] | |
- | + | '''田宮寺'''(たみやじ)は三重県度会郡玉城町田宮寺(伊勢国度会郡)にある[[荒木田氏]]ゆかりの[[真言宗]]寺院。荒木田氏(二門)の氏寺。本尊は[[十一面観音]]2体。[[高野山真言宗]]。内宮の古い御船代を納める[[御船殿]]があった。[[田宮寺神社]]が隣接する。[[伊勢神宮関連旧跡]]。院号は御内院。山号は富向山。 | |
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+ | 長徳年間(995-999)、荒木田氏長が創建。『御内一氏経卿日次記』1452年(享徳1年)条に神慮により創建され、大般若経を読誦して天下祈祷を行い、正月に禰宜中と「氏子の祠官」に頭文を捧げたという。 | ||
+ | 1496年(明応5年)2月、焼失後の再興。 | ||
+ | 通海の『太神宮参詣記』にも荒木田氏が田宮寺を建てて十一面観音を造り、「氏ノ伽藍」としていると記されている。 | ||
+ | 北畠具教が寺領寄進。[[豊臣秀吉]]が60石寄進。 | ||
+ | 1585年(天正13年)から寛延頃まで、[[内宮]]の御神体を納めていた古い御船代を田宮寺の[[御船殿]]に納めるのが故実となっていた。 | ||
+ | 1748年(寛延1年)12月19日、内宮長官守敬は、以降、古い御船代は宮中の殿舎に納めるように改めるように[[山田奉行]]に請願、1749年(寛延2年)4月21日、幕府に伺いの上、山田奉行はこれを認め、田宮寺にも伝達した。 | ||
+ | [[宇治法楽舎]]は再考を願い出たが却下された。(「仏寺等の神宮冒涜」[https://dl.ndl.go.jp/pid/2997369/1/356]) | ||
+ | 御船殿は田宮寺神社境内に現存する。 | ||
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- | + | 住職は内宮一禰宜が任命。寺僧は毎年1月に内宮長官に円鏡を贈っていたという。寺領は江戸時代には神宮より60石を寄進し、[[和歌山徳川家]]から13石の寄進があった。1月11日に氏寺拝、3月11日の山宮祭に合わせて田宮寺参が行われていた。1869年(明治2年)廃絶。後に復興した。 | |
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- | == | + | ==資料== |
- | + | 『田宮寺文書』(1702年(元禄15年)~1731年(享保16年))、1782年(天明2年)「田宮寺台所道具覚帳」、「田宮寺一件記」、田宮寺縁起、田宮寺境内神社之儀依御尋書上帳、1730年(享保15年)田宮寺住持覚栄什物請取書、田宮寺常什物覚帳、田宮寺堂舎境内野後両郷神社仏閣覚、田宮寺絵図、田宮寺国束寺記、田宮寺山門之図、田宮寺末寺に可加之由勧修寺之宮より申来候一件書類が神宮文庫に現存する。 | |
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+ | *田宮寺旧記 | ||
+ | *『神宮典略』[https://dl.ndl.go.jp/pid/1215170/1/330] | ||
+ | *『日本歴史地名大系』 | ||
+ | *『神都名勝誌』[https://dl.ndl.go.jp/pid/765769/1/21]) | ||
+ | *『伊勢の百話』[https://dl.ndl.go.jp/pid/9571164/1/48] | ||
+ | *『度会郡勢一覧』[https://dl.ndl.go.jp/pid/3460169/1/13] | ||
+ | *「仏寺等の神宮冒涜」[https://dl.ndl.go.jp/pid/2997369/1/356] | ||
+ | *十一面観音[https://dl.ndl.go.jp/pid/2476631/1/85] | ||
+ | *三重県国宝調査書[https://dl.ndl.go.jp/pid/1263827/1/95] | ||
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- | + | [[category:三重県]] |
2023年1月21日 (土) 時点における最新版
田宮寺(たみやじ)は三重県度会郡玉城町田宮寺(伊勢国度会郡)にある荒木田氏ゆかりの真言宗寺院。荒木田氏(二門)の氏寺。本尊は十一面観音2体。高野山真言宗。内宮の古い御船代を納める御船殿があった。田宮寺神社が隣接する。伊勢神宮関連旧跡。院号は御内院。山号は富向山。
聖武天皇の勅願で725年(神亀2年)9月、行基が創建したという(神都名勝誌)。空海が中興したともいう[1]。
長徳年間(995-999)、荒木田氏長が創建。『御内一氏経卿日次記』1452年(享徳1年)条に神慮により創建され、大般若経を読誦して天下祈祷を行い、正月に禰宜中と「氏子の祠官」に頭文を捧げたという。
1496年(明応5年)2月、焼失後の再興。
通海の『太神宮参詣記』にも荒木田氏が田宮寺を建てて十一面観音を造り、「氏ノ伽藍」としていると記されている。
北畠具教が寺領寄進。豊臣秀吉が60石寄進。
1585年(天正13年)から寛延頃まで、内宮の御神体を納めていた古い御船代を田宮寺の御船殿に納めるのが故実となっていた。
1748年(寛延1年)12月19日、内宮長官守敬は、以降、古い御船代は宮中の殿舎に納めるように改めるように山田奉行に請願、1749年(寛延2年)4月21日、幕府に伺いの上、山田奉行はこれを認め、田宮寺にも伝達した。
宇治法楽舎は再考を願い出たが却下された。(「仏寺等の神宮冒涜」[2])
御船殿は田宮寺神社境内に現存する。
1738年(元文3年)仁王門を建立。1767年(明和4年)3月13日、田宮寺で開帳。御船殿で以空筆という雨宝童子画像を天照大神の像とし称して公開。内宮長官は臨検してこれを中止させた。
住職は内宮一禰宜が任命。寺僧は毎年1月に内宮長官に円鏡を贈っていたという。寺領は江戸時代には神宮より60石を寄進し、和歌山徳川家から13石の寄進があった。1月11日に氏寺拝、3月11日の山宮祭に合わせて田宮寺参が行われていた。1869年(明治2年)廃絶。後に復興した。
田乃家神社の旧地という説がある(神都名勝誌)。
資料
『田宮寺文書』(1702年(元禄15年)~1731年(享保16年))、1782年(天明2年)「田宮寺台所道具覚帳」、「田宮寺一件記」、田宮寺縁起、田宮寺境内神社之儀依御尋書上帳、1730年(享保15年)田宮寺住持覚栄什物請取書、田宮寺常什物覚帳、田宮寺堂舎境内野後両郷神社仏閣覚、田宮寺絵図、田宮寺国束寺記、田宮寺山門之図、田宮寺末寺に可加之由勧修寺之宮より申来候一件書類が神宮文庫に現存する。