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真宗大谷派豊橋別院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
真宗大谷派豊橋別院
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[[ファイル:真宗大谷派豊橋別院.jpg|thumb|500px| ]] '''真宗大谷派豊橋別院'''(しんしゅうおおたには・とよはし・べついん)は、愛知県豊橋市にある[[真宗大谷派]]の[[真宗大谷派の別院寺院|別院]]。旧称は'''誓念寺'''。'''吉田御坊'''。 天文3年(1534)設立の'''吉田川毛道場'''が起源とも、天正11年(1583)顕如が証如御影を授与した'''吉田惣道場'''が起源ともいう。慶長10年(1605)には12代[[教如]]が親鸞御影を下賜し、'''誓念寺'''と称していた。吉田(現・豊橋)が交通の要衝として重要視されるようになると、宣如が'''掛所'''に取り立てた。役寺五ケ寺として浄円寺、正琳寺、応通寺、仁長寺、蓮泉寺が置かれた。'''吉田御坊誓念寺'''と呼ばれた。幕末、達如の命もあり、再建の機運が高まった。安政年間には準備が整いつつあったが、[[東本願寺]]焼失を受けて、用意していた材木を全て本山に寄進した。その後、本堂が漸次建てられたが、明治4年(1871)本堂焼失。廃寺の命を受けるが門末の存続運動で「講究所」として残り、12年(1879)に'''豊橋別院'''となった。明治14年本堂再建するが、豊橋空襲で焼失。昭和25年(1940)に仮本堂を設け、60年(1985)に現在の本堂が完成した。 == 参考文献 == *木場明志監修、2012『別院探訪』真宗大谷派宗務所出版部 [[Category:愛知県]]
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