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神代並神武天皇聖蹟

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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== 歴史 ==
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*1939年6月:紀元2600年鹿児島県奉祝会、設立(鹿児島市史年表)
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*1939年8月:霧島神宮から神籬祭場に至る道路拡張竣工
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*1940年2月11日:霧島山天孫降臨神籬祭場で紀元2600年紀元節奉祝天孫降臨祭臨時祭
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*1940年4/2:奉祝歌発表
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*1940年11/23:鹿児島市鴨池で奉仕式典。奉祝体育大会
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*1940年12/3:照国神社で奉祝古武道大会
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*霧島神宮の隣接地に霧島道場を竣工。講堂、遥拝殿、禊所、寮舎など。
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*1940年11月10日:鹿児島県、神代聖蹟を県史跡に指定。
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*1940年11月29日:鹿児島県、神武天皇聖蹟を県史跡に指定。
== 一覧 ==
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全て鹿児島県指定史跡だった。
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*1943『鹿児島県史別巻』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1239983/153]より。
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*全て鹿児島県指定史跡だった。(リストにない2カ所は脱逸か)
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===神代聖蹟===
===神代聖蹟===
*神代聖蹟笠狭之碕瓊瓊杵尊御上陸駐蹕之地
*神代聖蹟笠狭之碕瓊瓊杵尊御上陸駐蹕之地
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*[[神代聖蹟高千穂宮]]:鹿児島県霧島市隼人町。[[石体神社]]。大型の石碑。
*[[神代聖蹟高千穂宮]]:鹿児島県霧島市隼人町。[[石体神社]]。大型の石碑。
*[[神代聖蹟西洲宮]]:鹿児島県肝属郡肝付町宮下。[[桜迫神社]]。中型の石碑。
*[[神代聖蹟西洲宮]]:鹿児島県肝属郡肝付町宮下。[[桜迫神社]]。中型の石碑。
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===神武天皇聖蹟===
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*[[神武天皇御降誕伝説地水神棚]]:鹿児島県肝属郡肝付町宮下。桜迫神社の前の肝付川岸に水神棚とイヤの前(神武天皇胞衣塚)がある。中型の石碑が建つ。
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*[[神武天皇御駐蹕伝説地若尊鼻]]:鹿児島県霧島市国分敷根。石碑は不詳。若尊神社がある。
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*[[神武天皇御駐蹕伝説地宮浦]]:鹿児島県霧島市福山町福山。[[宮浦宮]]境内に小型の石碑が建つ。
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*[[神武天皇御駐蹕伝説地篠田]]:鹿児島県霧島市国分清水。所在不明。現存不詳。三国名勝図会、麑藩名勝考に記述。
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*神武天皇御発航伝説地肝属川河口:河口に向かい合うように石碑が建つ。
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**[[神武天皇御発航伝説地肝属川河口_(北岸)]]:鹿児島県肝属郡東串良町川東。北側の[[戸柱神社]]境内に大型の石碑が建つ。
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**[[神武天皇御発航伝説地肝属川河口_(南岸)]]:鹿児島県肝属郡肝付町波見。南側の[[戸柱神社]]の裏山を登った波見公園に大型の石碑がある。
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*[[神武天皇御駐蹕伝説地谿山]]:『鹿児島県史』に記載なし。鹿児島県鹿児島市谷山中央。[[柏原神社]]境内に中型の石碑が建つ。
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*[[神武天皇御駐蹕伝説地山王屋敷]]:『鹿児島県史』に記載なし。鹿児島県肝属郡東串良町川東山野。名称不明の神社の前に小型の石碑が建つ。
== 資料 ==
== 資料 ==

2022年6月26日 (日) 時点における版

神代並神武天皇聖蹟は紀元2600年記念事業として鹿児島県が指定した神代三代神武天皇に関する旧跡。文部省が行った神武天皇聖蹟事業に反発したもの。

目次

歴史

  • 1939年6月:紀元2600年鹿児島県奉祝会、設立(鹿児島市史年表)
  • 1939年8月:霧島神宮から神籬祭場に至る道路拡張竣工
  • 1940年2月11日:霧島山天孫降臨神籬祭場で紀元2600年紀元節奉祝天孫降臨祭臨時祭
  • 1940年4/2:奉祝歌発表
  • 1940年11/23:鹿児島市鴨池で奉仕式典。奉祝体育大会
  • 1940年12/3:照国神社で奉祝古武道大会
  • 霧島神宮の隣接地に霧島道場を竣工。講堂、遥拝殿、禊所、寮舎など。
  • 1940年11月10日:鹿児島県、神代聖蹟を県史跡に指定。
  • 1940年11月29日:鹿児島県、神武天皇聖蹟を県史跡に指定。

一覧

  • 1943『鹿児島県史別巻』[1]より。
  • 全て鹿児島県指定史跡だった。(リストにない2カ所は脱逸か)

神代聖蹟


神武天皇聖蹟

資料

  • 1939『神代並神武天皇聖蹟顕彰資料1県史神代編』[2]
  • 1939『神代並神武天皇聖蹟顕彰資料2肇国の御聖蹟』
  • 1939『神代並神武天皇聖蹟顕彰資料3官幣大社霧島神宮』[3]
  • 1939『神代並神武天皇聖蹟顕彰資料4官幣大社鹿児島神宮』[4]
  • 1939『神代並神武天皇聖蹟顕彰資料5神代三山陵に就いて』[5]
  • 1939『神代並神武天皇聖蹟顕彰資料6肇国の聖地鹿児島県』[6]
  • 1939『神代並神武天皇聖蹟顕彰資料7神武天皇聖蹟考』
  • 1939『神武天皇聖蹟高千穂宮に関する研究』[7](デジコレ限定送信)
  • 1939『神武天皇聖蹟御降誕地御発航地に関する研究』[8](デジコレ限定送信)
  • 1939『鹿児島神社旧記写』
  • 1940『奉祝記念事業経過概要』
  • 1941『紀元二千六百年鹿児島県奉祝会記念写真帖』[9]
  • 1943『鹿児島県史別巻』[10]
  • 窪壮一朗2022『明治維新と神代三陵』
  • 窪壮一朗2019「神武天皇聖蹟を巡る鹿児島と宮崎の争い——なぜ鹿児島には神代三陵が全てあるのか?(追補)」[11]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%A5%9E%E4%BB%A3%E4%B8%A6%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E8%81%96%E8%B9%9F」より作成

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