ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
神代並神武天皇聖蹟
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2022年6月26日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
神代並神武天皇聖蹟は紀元2600年記念事業として鹿児島県が指定した神代三代と神武天皇に関する旧跡。文部省が行った神武天皇聖蹟事業に反発したもの。
歴史
一覧
資料
- 1939『神代並神武天皇聖蹟顕彰資料1県史神代編』[1]
- 1939『神代並神武天皇聖蹟顕彰資料2肇国の御聖蹟』
- 1939『神代並神武天皇聖蹟顕彰資料3官幣大社霧島神宮』[2]
- 1939『神代並神武天皇聖蹟顕彰資料4官幣大社鹿児島神宮』[3]
- 1939『神代並神武天皇聖蹟顕彰資料5神代三山陵に就いて』[4]
- 1939『神代並神武天皇聖蹟顕彰資料6肇国の聖地鹿児島県』[5]
- 1939『神代並神武天皇聖蹟顕彰資料7神武天皇聖蹟考』
- 1939『神武天皇聖蹟高千穂宮に関する研究』[6](デジコレ限定送信)
- 1939『神武天皇聖蹟御降誕地御発航地に関する研究』[7](デジコレ限定送信)
- 1939『鹿児島神社旧記写』
- 1940『奉祝記念事業経過概要』
- 1941『紀元二千六百年鹿児島県奉祝会記念写真帖』[8]
- 1943『鹿児島県史別巻』[9]
- 窪壮一朗2022『明治維新と神代三陵』
- 窪壮一朗2019「神武天皇聖蹟を巡る鹿児島と宮崎の争い——なぜ鹿児島には神代三陵が全てあるのか?(追補)」[10]