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神嘉殿

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年5月24日 (火)

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神嘉殿は天皇が新嘗祭を執り行う神殿。現在は皇居の[[宮中三殿]]に付属する。
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[[ファイル:石上神宮・拝殿・-03.jpeg|thumb|500px|京都神嘉殿を移築したと伝える石上神宮の拝殿 ]]
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中和院の正殿。
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[[ファイル:Sdre-145.JPG|thumb|500px|安政神嘉殿(橿原神宮神楽殿)の復元建築]]
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[[file:879DF40A-57D2-43EC-83DC-CCE27C1B91AE.jpeg|thumb|400px|皇居の宮中三殿の西に神嘉殿がある(国土地理院空中写真より)]]
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'''神嘉殿'''は天皇が新嘗祭を執り行う神殿。古代は[[平安宮]]の中和院の正殿。現在は[[皇居]]の[[宮中三殿]]に付属する。
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*[[平安宮]]において初めて設置されたと推測され、日本後紀804年8月に暴風雨で中和院西楼が倒れたとあるので、この時点までには神嘉殿も成立していたのだろうとされる。
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*830年:『類聚国史』に「神嘉殿」の語の初出。
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*1081年、[[白河天皇]]、神嘉殿を[[石上神宮]]に移築。
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*1463年、この年を最後に新嘗祭中絶。
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*1737年、朝廷この頃から新嘗祭再興に動き出す。幕府と折衝。関白一条兼香が尽力。
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*1738年、[[桜町天皇]]、大嘗祭。
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*1740年11月24日、新嘗祭復興。[[紫宸殿]]を神嘉殿代とした。この時、古例と異なり、桜町天皇の強い意志で荒妙と和妙が神座のそばに供えられたという。
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*1749年11月22日、新嘗祭。[[桃園天皇]]は幼少のため行幸なく内侍が参向した。この時は荒妙和妙は設けられなかった。
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*1791年(寛政3年)、光格天皇、神嘉殿を再興。この時はこけら葺きだった。
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*1854年(安政1年)焼失。
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*1855年、再建。この時、檜皮葺となる。
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*東京遷都後は1872年(明治5年)に皇居の山里に造営したが火災で焼失。しばらく御殿がなかった。
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*1889年(明治22年)に宮中三殿と共に現在地に設けられた。
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*1889年、[[明治天皇]]、[[橿原神宮]]造営のために[[京都御所]]神嘉殿を下賜。
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平安宮において初めて設置されたと推測され、
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==造営と旧殿==
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日本後紀804年8月に暴風雨で中和院西楼が倒れたとあるので、この時点までには神嘉殿も成立していたのだろうとされる。
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*天長神嘉殿:史料初出の神嘉殿。1058年2月26日焼失。
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1081年、白河天皇、神嘉殿を石上神宮に移築。
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*石上神宮拝殿:1081年に石上神宮に移築したというが不詳。
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1463年、この年を最後に新嘗祭中絶。
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*寛政神嘉殿:1791年(寛政3年)竣工。1854年(安政1年)焼失。
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1737年、朝廷この頃から新嘗祭再興に動き出す。幕府と折衝。関白一条兼香が尽力。
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*安政神嘉殿:1855年竣工。東京遷都で神嘉殿の機能を失う。1889年7月23日、新たに造営される橿原神宮の拝殿として下賜され翌年3月31日に竣工。1939年(昭和14年)11月の昭和の大造営で、旧神嘉殿は神楽殿となる。1993年(平成5年)2月4日、神楽殿は失火で焼失。
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1738年、桜町天皇、大嘗祭。
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*明治神嘉殿:1872年(明治5年)に皇居の山里に造営したが火災で焼失。
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1740年11月24日、新嘗祭復興。紫宸殿を神嘉殿代とした。この時、古例と異なり、桜町天皇の強い意志で荒妙と和妙が神座のそばに供えられたという。
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*[[宮中三殿・神嘉殿]]:1889年(明治22年)に宮中三殿と共に現在地に設けられた。
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1749年11月22日、新嘗祭。桃園天皇は幼少のため行幸なく内侍が参向した。この時は荒妙和妙は設けられなかった。
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*橿原神宮神楽殿:1993年(平成5年)に焼失した神楽殿(安政神嘉殿)を1996年(平成8年)に復元再建した。
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1791年(寛政3年)、神嘉殿再興。
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1854年(安政1年)焼失。
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1855年、再建。
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東京遷都後は1872年(明治5年)に皇居の山里に造営したが火災で焼失。
 
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しばらく御殿がなかったが、1889年(明治22年)に宮中三殿と共に現在地に設けられた。
 
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また1889年、明治天皇、橿原神宮造営のために京都御所神嘉殿を下賜。
 
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==旧殿==
 
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*石上神宮拝殿
 
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*橿原神宮神楽殿:失火で焼失。
 
[[category:京都府]]
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ファイル:Sdre-145.JPG|神嘉殿を復元した橿原神宮神楽殿
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file:皇城大内裏地図・部分・中和院など.jpeg|平安宮の中和院と大極殿・紫宸殿(1750皇城大内裏地図・部分)
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==資料==
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*岸泰子2005「寛政度内裏造営以降の内侍所仮殿の造営・下賜と神嘉殿」[https://doi.org/10.3130/aija.70.171_1]
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*丸山茂1983「平安時代の神嘉殿について : 神事伝統の継承からみる常設神殿の一成立過程」[https://doi.org/10.3130/aijsaxx.326.0_157]

2022年5月24日 (火) 時点における最新版

京都神嘉殿を移築したと伝える石上神宮の拝殿
安政神嘉殿(橿原神宮神楽殿)の復元建築
皇居の宮中三殿の西に神嘉殿がある(国土地理院空中写真より)

神嘉殿は天皇が新嘗祭を執り行う神殿。古代は平安宮の中和院の正殿。現在は皇居宮中三殿に付属する。

  • 平安宮において初めて設置されたと推測され、日本後紀804年8月に暴風雨で中和院西楼が倒れたとあるので、この時点までには神嘉殿も成立していたのだろうとされる。
  • 830年:『類聚国史』に「神嘉殿」の語の初出。
  • 1081年、白河天皇、神嘉殿を石上神宮に移築。
  • 1463年、この年を最後に新嘗祭中絶。
  • 1737年、朝廷この頃から新嘗祭再興に動き出す。幕府と折衝。関白一条兼香が尽力。
  • 1738年、桜町天皇、大嘗祭。
  • 1740年11月24日、新嘗祭復興。紫宸殿を神嘉殿代とした。この時、古例と異なり、桜町天皇の強い意志で荒妙と和妙が神座のそばに供えられたという。
  • 1749年11月22日、新嘗祭。桃園天皇は幼少のため行幸なく内侍が参向した。この時は荒妙和妙は設けられなかった。
  • 1791年(寛政3年)、光格天皇、神嘉殿を再興。この時はこけら葺きだった。
  • 1854年(安政1年)焼失。
  • 1855年、再建。この時、檜皮葺となる。
  • 東京遷都後は1872年(明治5年)に皇居の山里に造営したが火災で焼失。しばらく御殿がなかった。
  • 1889年(明治22年)に宮中三殿と共に現在地に設けられた。
  • 1889年、明治天皇橿原神宮造営のために京都御所神嘉殿を下賜。

造営と旧殿

  • 天長神嘉殿:史料初出の神嘉殿。1058年2月26日焼失。
  • 石上神宮拝殿:1081年に石上神宮に移築したというが不詳。
  • 寛政神嘉殿:1791年(寛政3年)竣工。1854年(安政1年)焼失。
  • 安政神嘉殿:1855年竣工。東京遷都で神嘉殿の機能を失う。1889年7月23日、新たに造営される橿原神宮の拝殿として下賜され翌年3月31日に竣工。1939年(昭和14年)11月の昭和の大造営で、旧神嘉殿は神楽殿となる。1993年(平成5年)2月4日、神楽殿は失火で焼失。
  • 明治神嘉殿:1872年(明治5年)に皇居の山里に造営したが火災で焼失。
  • 宮中三殿・神嘉殿:1889年(明治22年)に宮中三殿と共に現在地に設けられた。
  • 橿原神宮神楽殿:1993年(平成5年)に焼失した神楽殿(安政神嘉殿)を1996年(平成8年)に復元再建した。

資料

  • 岸泰子2005「寛政度内裏造営以降の内侍所仮殿の造営・下賜と神嘉殿」[1]
  • 丸山茂1983「平安時代の神嘉殿について : 神事伝統の継承からみる常設神殿の一成立過程」[2]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%A5%9E%E5%98%89%E6%AE%BF」より作成

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