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秩父・観音院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
秩父・観音院
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'''観音院'''(かんのんいん)は、武蔵国秩父郡の[[三峰山]]にあった[[修験道]][[本山派]]の寺院。本山派[[二十七先達]]の一つ。廃絶。[[三峰神社]]別当。'''高雲寺'''と号す。(参考:同名寺院[[観音院]]) ==歴史== 日本武尊が三峰神社を祀っていたが、天平9年、[[光明皇后]]が葛城好久に命じて観音菩薩を祀ったのが観音院の起源。 天平17年、月慶(月桂)を住職とした。文亀2年、月観道満が中興。天文2年、龍栄が[[聖護院門跡]]に謁見してその末寺となったらしい。長年、[[山本坊]]の配下だったが、争論があり、寛文5年、聖護院直末となった。 江戸時代、住職の「不行跡」により無住になる。 享保3年、真言宗僧の元良が看坊となり、享保6年、真言宗の日光が看坊となる。 享保18年、日光が正式な住職に就任。日光は眷属信仰を導入した。再中興と呼ばれた。以後、真言宗[[智積院]]末の僧侶が天台宗に改宗して住職になる慣習が生まれた。 神仏分離で廃絶となった。(日本歴史地名大系) [[category:埼玉県]]
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