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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

秩父・観音院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年9月15日 (金)

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観音院(かんのんいん)は、武蔵国秩父郡の三峰山にあった修験道本山派の寺院。本山派二十七先達の一つ。廃絶。三峰神社別当。高雲寺と号す。(参考:同名寺院観音院

歴史

日本武尊が三峰神社を祀っていたが、天平9年、光明皇后が葛城好久に命じて観音菩薩を祀ったのが観音院の起源。 天平17年、月慶(月桂)を住職とした。文亀2年、月観道満が中興。天文2年、龍栄が聖護院門跡に謁見してその末寺となったらしい。長年、山本坊の配下だったが、争論があり、寛文5年、聖護院直末となった。

江戸時代、住職の「不行跡」により無住になる。 享保3年、真言宗僧の元良が看坊となり、享保6年、真言宗の日光が看坊となる。 享保18年、日光が正式な住職に就任。日光は眷属信仰を導入した。再中興と呼ばれた。以後、真言宗智積院末の僧侶が天台宗に改宗して住職になる慣習が生まれた。 神仏分離で廃絶となった。(日本歴史地名大系)

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