出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | |style="text-align:center;" colspan="2"|[[ファイル:Minonaka-matubara-jinja.JPG|350px]]
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- | |style="background-color:#ededed;width:100px;"|概要
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- | |山田の産土神社。
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- | |style="background-color:#ededed"|奉斎
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- | |大歳神など
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- | |style="background-color:#ededed"|所在地
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- | |三重県伊勢市岩渕1-14-25
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- | |style="background-color:#ededed"|所在地(旧国郡)
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- | |伊勢国度会郡
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- | |style="background-color:#ededed"|所属(現在)
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- | |神社本庁
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- | |style="background-color:#ededed"|格式など
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- | |[[県社]]
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- | |style="background-color:#ededed"|関連記事
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- | *[[伊勢神宮関連旧跡]]
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- | |style="text-align:center;" colspan="2"|
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- | <googlemap version="0.9" lat="34.488006" lon="136.712837" type="map" zoom="17" width="350" height="300" controls="large">
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- | 34.487529, 136.712528, 箕曲中松原神社
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- | </googlemap>
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- | [[category:個別記事]]
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- | [[category:三重県]]
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- | ==概要==
| + | 祭神は大歳神などである。 |
- | 山田の産土神社の一つ。祭神は大歳神などである。
| + | 創建不詳。長徳年間の資料に見えるのが最古。大歳社、中松原社、美野社、箕曲社などと呼ばれた。 |
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- | 創建不詳。長徳年間の資料に見えるのが最古。大歳社、中松原社、美野社、箕曲社などと呼ばれた。社名をめぐってはさまざまな説があるが由来ははっきりしない。箕曲とは、この神社が鎮座する継橋郷美乃々村の隣の地名であり、美乃々村と箕曲を混同したものともいう。古書にみえる箕曲氏社と同一という説と別のものという説がある。明治4年11月2日、郷社となる。明治8年12月14日県社となった。明治39年12月、神饌幣帛料供進神社となる。
| + | 社名をめぐってはさまざまな説があるが由来ははっきりしない。箕曲とは、この神社が鎮座する継橋郷美乃々村の隣の地名であり、美乃々村と箕曲を混同したものともいう。古書にみえる箕曲氏社と同一という説と別のものという説がある。 |
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- | 明治5年6月、外宮の末社であった若雷社、地護社、大山祇社、相社、山神社を度会県の管轄となし、ついで当社に合祀した。若雷社は北御門参道の西にあり「北御門社」などと呼ばれた。地護社は土宮北傍にあった。大山祇社は外宮の'''山口祭祭場'''にあった神社。相社は一の鳥居と二の鳥居の間に石を神体として祭っていた。明治42年3月11日、さらに村社神萱落神社、無格社金刀比羅神社、尾部山の尾上社、隠岡の尾上社などを合祀した。
| + | 明治4年11月2日、郷社となる。明治8年12月14日県社となった。明治39年12月、神饌幣帛料供進神社となる |
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- | ==画像==
| + | 明治5年6月、外宮の末社であった若雷社、地護社、大山祇社、相社、山神社を度会県の管轄となし、ついで当社に合祀した。 |
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| + | 若雷社は北御門参道の西にあり「北御門社」などと呼ばれた。地護社は土宮北傍にあった。大山祇社は山口祭祭場にあった神社。相社は一の鳥居と二の鳥居の間に石を神体として祭っていた。 |
- | ファイル:Minonaka-matubara-jinja.JPG
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- | | + | 明治42年3月11日、村社神萱落神社、無格社金刀比羅神社、尾部山の尾上社、隠岡の尾上社などを合祀。 |
- | ==参考文献==
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- | *『宇治山田市史』
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- | ==脚注==
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- | <references/>
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2012年12月21日 (金) 時点における版
祭神は大歳神などである。
創建不詳。長徳年間の資料に見えるのが最古。大歳社、中松原社、美野社、箕曲社などと呼ばれた。
社名をめぐってはさまざまな説があるが由来ははっきりしない。箕曲とは、この神社が鎮座する継橋郷美乃々村の隣の地名であり、美乃々村と箕曲を混同したものともいう。古書にみえる箕曲氏社と同一という説と別のものという説がある。
明治4年11月2日、郷社となる。明治8年12月14日県社となった。明治39年12月、神饌幣帛料供進神社となる
明治5年6月、外宮の末社であった若雷社、地護社、大山祇社、相社、山神社を度会県の管轄となし、ついで当社に合祀した。
若雷社は北御門参道の西にあり「北御門社」などと呼ばれた。地護社は土宮北傍にあった。大山祇社は山口祭祭場にあった神社。相社は一の鳥居と二の鳥居の間に石を神体として祭っていた。
明治42年3月11日、村社神萱落神社、無格社金刀比羅神社、尾部山の尾上社、隠岡の尾上社などを合祀。