ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
箕曲中松原神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
(版間での差分)
(?歴史) |
|||
5行: | 5行: | ||
創建不詳。長徳年間の資料に見えるのが最古。社名をめぐってはさまざまな説があるが由来ははっきりしない。箕曲とは、この神社が鎮座する継橋郷美乃々村の隣の地名であり、美乃々村と箕曲を混同したものともいう。古書にみえる箕曲氏社と同一という説と別のものという説がある。明治4年11月2日、郷社となる。明治8年12月14日県社となった。明治39年12月、神饌幣帛料供進神社となる。 | 創建不詳。長徳年間の資料に見えるのが最古。社名をめぐってはさまざまな説があるが由来ははっきりしない。箕曲とは、この神社が鎮座する継橋郷美乃々村の隣の地名であり、美乃々村と箕曲を混同したものともいう。古書にみえる箕曲氏社と同一という説と別のものという説がある。明治4年11月2日、郷社となる。明治8年12月14日県社となった。明治39年12月、神饌幣帛料供進神社となる。 | ||
- | 明治5年6月、[[外宮]] | + | 明治5年6月、[[外宮]]の末社であった若雷社、地護社、大山祇社、相社、山神社を度会県の管轄となし、ついで当社に合祀した。若雷社は北御門参道の西にあり「北御門社」などと呼ばれた。地護社は[[土宮]]北傍にあった。大山祇社は外宮の[[山口祭祭場]]にあった神社。[[相社]]は一の鳥居と二の鳥居の間に石を神体として祭っていた。明治42年3月11日、さらに村社[[神萱落神社]]、無格社金刀比羅神社、尾部山の[[尾上社]]、隠岡の尾上社などを合祀した。 |
境内に本社の他、遥拝所、伊勢豊受稲荷神社、楠神社、水鏡池がある。 | 境内に本社の他、遥拝所、伊勢豊受稲荷神社、楠神社、水鏡池がある。 |
2022年10月2日 (日) 時点における版
箕曲中松原神社(みのなか・まつばら・じんじゃ)は三重県伊勢市岩渕(伊勢国度会郡)にある神社。祭神は大歳神など。県社。山田の産土神社の一つ。伊勢神宮関連旧跡。大歳社、中松原社、美野社、箕曲社などと呼ばれた。
歴史
創建不詳。長徳年間の資料に見えるのが最古。社名をめぐってはさまざまな説があるが由来ははっきりしない。箕曲とは、この神社が鎮座する継橋郷美乃々村の隣の地名であり、美乃々村と箕曲を混同したものともいう。古書にみえる箕曲氏社と同一という説と別のものという説がある。明治4年11月2日、郷社となる。明治8年12月14日県社となった。明治39年12月、神饌幣帛料供進神社となる。
明治5年6月、外宮の末社であった若雷社、地護社、大山祇社、相社、山神社を度会県の管轄となし、ついで当社に合祀した。若雷社は北御門参道の西にあり「北御門社」などと呼ばれた。地護社は土宮北傍にあった。大山祇社は外宮の山口祭祭場にあった神社。相社は一の鳥居と二の鳥居の間に石を神体として祭っていた。明治42年3月11日、さらに村社神萱落神社、無格社金刀比羅神社、尾部山の尾上社、隠岡の尾上社などを合祀した。
境内に本社の他、遥拝所、伊勢豊受稲荷神社、楠神社、水鏡池がある。
(『宇治山田市史』ほか)