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米沢城御堂
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
米沢城御堂
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江戸時代、米沢城本丸の東南隅にあった[[上杉謙信]]を祀る霊廟。遺骸が奉安されていた。[[春日山城不識庵]]から会津を経て、米沢城に遷された。引続き米沢でも「不識庵」と呼ばれたこともあるようだ。脇侍として[[春日山城毘沙門堂]]から遷された謙信の守護神の泥足[[毘沙門天]]と、謙信が信濃[[善光寺]]から略奪した[[善光寺如来]]が祀られていた。 慶長14年6月、竣工。幕末の嘉永2年12月20日に火災で焼失するが、翌年8月に再建された。 明治維新で廃絶となり、祭祀は城跡の[[上杉神社]]に継承される一方、謙信の遺骸は[[上杉家墓地]]に埋葬された。泥足毘沙門天と善光寺如来は菩提寺の[[米沢・法音寺|法音寺]]に遷された。 御堂だった建物は、明治9年ごろ、[[米沢・長命寺]](真宗大谷派)本堂として移築されて現存している。 跡地には戊辰戦争などの戦死者を祀る大型の招魂碑が建てられている。山形県米沢市。[[善光寺遷座旧跡]]。 [[category:山形県]]
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