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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

米沢城御堂

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2015年3月2日 (月)

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米沢城御堂(よねざわじょう・みどう)は、江戸時代の出羽国(羽前国)置賜郡の米沢城本丸の東南隅にあった、米沢藩上杉家始祖の戦国武将上杉謙信を祀る霊廟。山形県米沢市。謙信の遺骸そのものが奉安され、家中では神格化されて恐れられていた。上杉家の転封に伴い、遺骸は春日山城不識庵から会津を経て、当城に遷された。米沢でも「不識庵」とも呼ばれた。脇侍として春日山城毘沙門堂から遷された謙信の守護神の泥足毘沙門天と、謙信が信濃善光寺から略奪した善光寺如来が祀られていた。善光寺遷座旧跡

歴史

慶長14年6月、竣工。幕末の嘉永2年12月20日に火災で焼失するが、翌年8月に再建された。御堂を管理していたのは城内にあった霊仙寺だったが、このほか能化衆の法音寺、大乗寺、蔵王堂、大聖院、安養院、教王院、長福寺、宝蔵寺、金剛院、延寿寺、妙観院、御堂衆の善性院、東光院、円明院、万秀院、弥勒院、浄福院、連蔵院、正福院、法性院があり、その21寺の奉仕で祭祀が行われていた(寺院名は幕末の再建のときの棟札による[1])。能化衆は学僧、御堂衆は儀礼を司った僧侶と思われる。 明治維新で廃絶となり、祭祀は新たに城跡に建てられた上杉神社に継承される一方、遺骸は上杉家墓地に埋葬された。泥足毘沙門天と善光寺如来は上杉家菩提寺の法音寺に遷された。御堂だった建物は、明治9年ごろ、米沢・長命寺(真宗大谷派)本堂として移築されて現存している。城内の御堂跡地には戊辰戦争などの戦死者を祀る大型の招魂碑が建てられている。

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