ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
糟屋・宇美八幡宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
(版間での差分)
1行: | 1行: | ||
'''宇美八幡宮'''は、応神天皇誕生地にある八幡宮。「産八幡宮」とも称す。祭神は、「応神天皇、神功皇后、玉依姫、住吉大神、伊弉諾尊」である(宇美八幡宮ウェブサイト)。『筑前名所図会』には「中殿八幡大神、左神功皇后、宝満大明神、右住吉大神、大祖権現」とある(『筑前名所図会 巻9』)。『古事記』『日本書紀』に神功皇后は応神天皇を宇美で出産したとある。敏達天皇3年に社殿が建立されたという。1274年(文永11年)の元寇のとき、[[筥崎宮]]が当社に避難してきた。筥崎宮はさらに宇美八幡宮北側にあった極楽寺に避難したという(現在、極楽寺跡には[[箱崎八幡宮]]がある。)。1872年(明治5年)郷社、1891年(明治24年)8月に県社に昇格(『神道史大辞典』、ウェブサイトでは1872年(明治5年)に村社に列格したとある。)。 別表神社。境内社としては生誕のときの産婆の湯方殿を祀る湯方社や聖母宮、武内社などがある。鳥居の正面脇には'''仲哀天皇陵'''とされる塚があったが現存しないようである。そのほか、産湯の水、御降誕碑などのほか、『愚管抄』にも登場する子安の木がある。また神域の南側、参道正面の突き当たりにある井野山に御旅所の'''八幡産宮'''がある。神域の北側に「胞衣が浦」という小山があり、胎盤を埋納したところとされ、そこに'''上宮'''が祀られている。胞衣が浦は弥勒山ともいい、かつては神宮寺の'''宇美山誕生寺'''があった。真言宗で山号を護国山ともいった。なお旧怡土郡にも'''宇美八幡宮'''(県社)があるが、当社の神領に創建された分社である(『筑前国続風土記』)。(『筑前国続風土記』、『筑前名所図会』、宇美八幡宮ウェブサイト) | '''宇美八幡宮'''は、応神天皇誕生地にある八幡宮。「産八幡宮」とも称す。祭神は、「応神天皇、神功皇后、玉依姫、住吉大神、伊弉諾尊」である(宇美八幡宮ウェブサイト)。『筑前名所図会』には「中殿八幡大神、左神功皇后、宝満大明神、右住吉大神、大祖権現」とある(『筑前名所図会 巻9』)。『古事記』『日本書紀』に神功皇后は応神天皇を宇美で出産したとある。敏達天皇3年に社殿が建立されたという。1274年(文永11年)の元寇のとき、[[筥崎宮]]が当社に避難してきた。筥崎宮はさらに宇美八幡宮北側にあった極楽寺に避難したという(現在、極楽寺跡には[[箱崎八幡宮]]がある。)。1872年(明治5年)郷社、1891年(明治24年)8月に県社に昇格(『神道史大辞典』、ウェブサイトでは1872年(明治5年)に村社に列格したとある。)。 別表神社。境内社としては生誕のときの産婆の湯方殿を祀る湯方社や聖母宮、武内社などがある。鳥居の正面脇には'''仲哀天皇陵'''とされる塚があったが現存しないようである。そのほか、産湯の水、御降誕碑などのほか、『愚管抄』にも登場する子安の木がある。また神域の南側、参道正面の突き当たりにある井野山に御旅所の'''八幡産宮'''がある。神域の北側に「胞衣が浦」という小山があり、胎盤を埋納したところとされ、そこに'''上宮'''が祀られている。胞衣が浦は弥勒山ともいい、かつては神宮寺の'''宇美山誕生寺'''があった。真言宗で山号を護国山ともいった。なお旧怡土郡にも'''宇美八幡宮'''(県社)があるが、当社の神領に創建された分社である(『筑前国続風土記』)。(『筑前国続風土記』、『筑前名所図会』、宇美八幡宮ウェブサイト) | ||
+ | {|class="wikitable" style="width:700px;" | ||
+ | |- | ||
+ | | | ||
<googlemap version="0.9" lat="33.570506" lon="130.51981" type="map" zoom="14" width="700" controls="large"> | <googlemap version="0.9" lat="33.570506" lon="130.51981" type="map" zoom="14" width="700" controls="large"> | ||
33.570446, 130.50897, 宇美八幡宮 | 33.570446, 130.50897, 宇美八幡宮 | ||
7行: | 10行: | ||
33.570813, 130.541285, 箱崎八幡宮(極楽寺跡・筥崎宮旧跡) | 33.570813, 130.541285, 箱崎八幡宮(極楽寺跡・筥崎宮旧跡) | ||
</googlemap> | </googlemap> | ||
+ | 宇美八幡宮 周辺図 | ||
+ | |} |
2011年4月4日 (月) 時点における版
宇美八幡宮は、応神天皇誕生地にある八幡宮。「産八幡宮」とも称す。祭神は、「応神天皇、神功皇后、玉依姫、住吉大神、伊弉諾尊」である(宇美八幡宮ウェブサイト)。『筑前名所図会』には「中殿八幡大神、左神功皇后、宝満大明神、右住吉大神、大祖権現」とある(『筑前名所図会 巻9』)。『古事記』『日本書紀』に神功皇后は応神天皇を宇美で出産したとある。敏達天皇3年に社殿が建立されたという。1274年(文永11年)の元寇のとき、筥崎宮が当社に避難してきた。筥崎宮はさらに宇美八幡宮北側にあった極楽寺に避難したという(現在、極楽寺跡には箱崎八幡宮がある。)。1872年(明治5年)郷社、1891年(明治24年)8月に県社に昇格(『神道史大辞典』、ウェブサイトでは1872年(明治5年)に村社に列格したとある。)。 別表神社。境内社としては生誕のときの産婆の湯方殿を祀る湯方社や聖母宮、武内社などがある。鳥居の正面脇には仲哀天皇陵とされる塚があったが現存しないようである。そのほか、産湯の水、御降誕碑などのほか、『愚管抄』にも登場する子安の木がある。また神域の南側、参道正面の突き当たりにある井野山に御旅所の八幡産宮がある。神域の北側に「胞衣が浦」という小山があり、胎盤を埋納したところとされ、そこに上宮が祀られている。胞衣が浦は弥勒山ともいい、かつては神宮寺の宇美山誕生寺があった。真言宗で山号を護国山ともいった。なお旧怡土郡にも宇美八幡宮(県社)があるが、当社の神領に創建された分社である(『筑前国続風土記』)。(『筑前国続風土記』、『筑前名所図会』、宇美八幡宮ウェブサイト)
宇美八幡宮 周辺図 |