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美作・誕生寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
美作・誕生寺
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'''誕生寺'''(たんじょうじ)は、岡山県久米郡久米南町里方(美作国久米郡)にある、[[浄土宗]]開祖[[法然]]の生誕地に創建された寺院。[[浄土宗知恩院派]][[特別寺院]]。[[法然上人二十五霊場]]。江戸時代は[[浄土律]]であり、'''誕生律寺'''と呼ばれた。山号は栃社山。(参考:同名寺院[[誕生寺]]) ==歴史== *1133年(長承2年):『蓮門精舎旧詞』(1696年(元禄9年))によると、父の漆間時国が、法然誕生の時、奇瑞があり、館のそばに寺を建て誕生寺と名付けたという。法然誕生の時、西より二つの白幡が飛来し、椋の木の梢に引っかかり、7日後、どこかに飛び去ったという。その椋木は「二幡の椋」として本堂の左側にある。また菩提寺で修行を終えた法然が京都に旅立つ時にそこまで使ってきた杖を指したのが成長したという「逆木の公孫樹」がある。枝と根っこが逆さまに生えているとされる。本尊は天台宗浄土院の釈迦如来を迎えた。1175年(安元1年)法然は京都から43歳の自作御影を誕生寺に送り、本尊とした。釈迦如来は別に釈迦堂を建てて祀った。 *1175年(安元1年):『作陽誌』(1691年(元禄4年)成立)によると、法然は故郷に帰り父の墓を参拝。遺命で寺を建てて、栃社山誕生寺と名付けた。父の念持仏の阿弥陀如来を祀り、自作の御影(展墓の御影)を祀ったという。 *1193年(建久4年):『円光大師行状画図翼賛』によると熊谷直実が創建。同書には年代の記述はないが1193年(建久4年)という説がある。 *14世紀前半:「法然上人絵伝」知恩院本に誕生寺が登場。 *1569年(永禄12年):稲荷山城主の原田貞佐、御影堂を再建(御影堂建立奉加帳写)。 *1578年(天正6年)5月:領主宇喜多直家が念仏を忌避し、日蓮宗徒が襲撃した(栃社山浄土院誕生寺略記)。 *1604年(慶長9年)2月11日:津山藩主森忠政、寺領50石を寄進。 *1622年(元和8年):深誉長源、後水尾天皇から香衣勅許の綸旨を得た。 *1693年(元禄6年):江戸出開帳始まる(武江年表)。京都でも。 *1695年(元禄8年):御影堂再建。 *1699年(元禄12年):練供養、現在の形となる。 *1699年(元禄12年)10月15日:津山藩主森家が断絶するが、寺領50石は将軍徳川綱吉から朱印地として安堵された。朱印寺として岡山県内では3番目の寺格となった。 *1732年(享保17年)12月:御影堂修復 *天明年間:祠堂銀の資産運用を始める。 *1792年(寛政4年):松仙慧風が入り、律院として中興。 *1831年(天保2年)3月:歴代の浄土門主の尊牌を祀る。知恩院宮尊超法親王が揮毫。 *1845年(弘化2年):漆間時国夫妻700回忌。 *1932年(昭和7年):降誕800年法要 *戦後:特別寺院となる。 *1956年(昭和31年)3月:本尊の阿弥陀如来像内から「法然上人誕生所御本尊」の墨書のある紙片を千枚の摺仏と共に発見。 ==伽藍== *御影堂:1695年(元禄8年)の再建で法然43歳の自作の御影(展墓の御影)を祀る。 *阿弥陀堂:念仏庵。1824年(文政7年)建立。 *華頂殿:1674年(延宝2年)建立。 *観音堂:塙直政室の霊廟。 *勢至堂:両親・漆間時国と秦氏の墓。本地堂とも。かつて勢至菩薩を祀っていた。1779年(安永8年)再建。 *熊谷堂:廃絶。 *忠魂堂:元は経蔵だったが、のち日清日露戦争の戦没者を祀った。のち父母の位牌を祀る。 *方丈:本尊の釈迦如来は法然が嵯峨釈迦堂に参籠したことを喜んだ母が京都の法然に送った像だという。阿弥陀如来と勢至菩薩も祀った。 *客殿:1829年(文政12年)建立。 *庫裏:1795年(寛政7年)建立。 *山門:1715年(正徳5年)建立。 *弁財天社 ==関連旧跡== *北山神社:法然上人絵伝に登場する「高峰権現」に当たるという。 *菩提寺:法然が幼少期に勉学に励んだ場所 *本山寺:漆間時国夫妻が子授け祈願をした寺院。 ==子院== *浄土院:本尊は阿弥陀如来。貞観年間、円仁の創建という。漆間家の菩提寺であり、門前にあったが、誕生寺の成立と共に浄土宗となり、丘の上に移ったという。岡の房ともいう。奥之院。 *清浄院: *井上院:1674年(延宝2年)源重政が母を埋葬しほとりに創建。1732年(享保17年)再興。廃絶。 *実心房:廃絶。 *円撤房:廃絶。 *長源房:廃絶。 *実行房:廃絶。 *竹本房:廃絶。 ==組織== ===住職=== *7光天祐玉()<-1569->:源蓮社。 *11空山宗貞(?-1592)<>: *12深誉長源(1563-)<-1623->:伽藍復興。 *13願誉寿笛()<1649->:原田行佐の子。 *14 *15通誉学澯()<-1699->:蓮阿。練供養を創始。 *16 *17門誉津海()<-1732->: *功誉欽言()<-1790->: *21松仙慧風()<1792-1805>:誕生寺中興。律院開祖。可円慧恭の弟子。松仙恵風。随誉松仙。美濃円満寺2世。 *22勝誉正道(-1799-)<>:正道慧剛。長野十念寺に墓。 *大忍慧力()<>: *鏡誉察厳()<-1841->:慧頭? *巨海()<-1851>:1851年(嘉永4年)5月頃、隠居。 *聚誉定厳()<1851->:1851年(嘉永4年)5月頃、誕生寺住職。播磨国赤穂出身。慧正? *金誉玉潭()<-1857->:慧拾? *聚誉定厳()<-1860->:再住? *31漆間徳厳()<>:1902年(明治35年)在職 *32漆間徳定(1869-1944)<1917->:播磨出身。1869年生。漆間徳厳の甥。旧姓は井上。1976年誕生寺で出家。1893年浄土宗大学高等正科卒。1895年専門科卒。浄土宗布教部長。[[如意輪寺]]住職。1913年、知恩院執事長。1917年誕生寺住職。1944年10月20日死去。檀蓮社旃誉滴阿松雨。琵琶歌、謡曲などを多数執筆。 *33漆間正徳(1913-1966)<1942-1966>:1913年生。1937年大正大学仏教学科卒。六地蔵大善寺、誕生寺浄土院住職を経て1942年、誕生寺住職。陸軍応召。1966年2月28日死去。 *34漆間徳然(1944-2020)<1967-2020>:1944年生。1967年、仏教大学卒。同年7月、誕生寺住職。知恩院布教師。岡山教区長。2020年12月3日死去。76歳。廓蓮社證誉上人空阿松霞徳然慧興大和上。 *35漆間勇哲(1982-)<2021->: *雲沽? *徴誉源成? *現誉霊浩? *進誉戒定?()<>:慧立? ==参考文献== *誕生寺ウェブサイト *『古寺名刹への道』 *『法然と浄土宗教団』 ==資料== *『美作誕生寺文書』:『岡山県古文書集』4所収 *『栃社山浄土院誕生寺略記』:1696年(元禄9年)。通誉連阿。 *『栃社記』: *『見聞雑記』: *『久米郡誌』 *『蓮門精舎旧詞』:1696年(元禄9年)。静泉寺仏元。 *『作陽誌』:1689年(元禄2年)。津山藩家老の長野勝明。 *『誕生寺略縁起』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913022/213] *誕生寺1915『誕生寺縁起』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/919696] *杉山栄1915『法然上人―附・誕生寺縁起』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/943531/66] *石橋誡道1932「美作国誕生寺の伝説」『摩訶衍』 *1933『岡山民俗叢書6』「誕生寺の練供養」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1464053/23] *漆間正徳1964「法然上人と現代―美作国誕生寺」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/6075592/8] *水野恭一郎1972「美作誕生寺について若干の考察」『浄土教の思想と文化』 *水野恭一郎1983「美作誕生寺の歴史」『武家社会の歴史像』 *平祐史1976「美作誕生寺所蔵近世文書」『佛教文化研究』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4417930/43] *高橋良和1977『誕生寺―法然上人のゆかりの寺』 *1989『岡山県史4』「誕生寺の創建」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9576580/288] *夏攸吾1994「誕生寺の練供養」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/6075952/9] *佐々木正2015「法然の故郷・誕生寺を訪ねて」『法然思想』1 *田中祥雄・袖山榮眞2017『美作誕生寺古記録古文書集成』 [[category:岡山県]]
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