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聡敏神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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聡敏神社(そうびん・じんじゃ)は、広島県福山市にある福山藩祖水野勝成を祀る霊社。福山藩水野家。福山八幡宮内。領主奉斎神社。徳霊社。分社として結城藩水野家が祀った結城聡敏神社が茨城県結城市にある。
歴史
水野勝成(1564-1651)は三河国刈谷を領した水野家の当主。徳川家康の従兄弟に当たる。父と対立するが、のちに和解し、1600年(慶長5年)に父の死で3万石を継承。大坂の陣の功績で大和郡山藩6万石に移る。1619年(元和5年)、福山藩10万石に移る。1639年(寛永16年)隠居して水野勝俊(1598-1655)に当主を讓る。勝成は1651年(慶安4年)3月15日死去。賢忠寺に葬られた。
その後、勝俊が福山城天守閣の最上層に父の霊を祀ると共に、福山八幡宮内に勝成明神を祀る徳霊社を創建した。福山藩水野家は1698年(元禄11年)に無嗣断絶となるが、徳霊社は存続したらしい。代わりに立てられた結城藩水野家3代の水野勝庸(1718-1749)の時代に吉田家より聡敏霊神の号を得た。1764年(明和1年)、吉田家から聡敏明神の号を得た。 結城藩水野家は下総の地から福山にあるこの社に関与していたようだが、1816年(文化13年)、結城12代の水野勝愛は結城城(臥牛城)に結城聡敏神社を創建した(結城聡敏神社由来記)。
(日本歴史地名大系ほか)