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聡敏神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年8月29日 (土)

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聡敏神社(福山八幡宮境内)

聡敏神社(そうびん・じんじゃ)は、広島県福山市にある福山藩祖水野勝成を祀る霊社。福山藩水野家。福山八幡宮内。領主奉斎神社徳霊社。無格社。分社として結城藩水野家が祀った結城聡敏神社が茨城県結城市にある。

歴史

水野勝成(1564-1651)は三河国刈谷を領した水野家の当主。徳川家康の従兄弟に当たる。父と対立するが、のちに和解し、1600年(慶長5年)に父の死で3万石を継承。大坂の陣の功績で大和郡山藩6万石に移る。1619年(元和5年)、福山藩10万石に移り、福山城を建て、現在の城下町を建設した。1639年(寛永16年)隠居して水野勝俊(1598-1655)に当主を讓る。勝成は1651年(慶安4年)3月15日死去。賢忠寺に葬られた。

その後、勝俊が父の霊を祀ったのが聡敏神社の起源。当初は徳霊社と称した。『日本歴史地名大系』では、「福山城天守閣の最上層」と「福山八幡宮」の2カ所に同時に祀られたとあるが、現地由緒書によると、1720年(享保5年)に福山城内から八幡宮に遷座したとある。福山藩水野家は1698年(元禄11年)に無嗣断絶となるが、徳霊社は存続したらしい。代わりに立てられた結城藩水野家3代の水野勝庸(1718-1749)の時代に吉田家より聡敏霊神の号を得た。1764年(明和1年)、吉田家から聡敏明神の号を得た。結城藩水野家は下総の地から福山にあるこの社に関与していたことになる。領主が変わった福山でも忘れ去られることなく、文化年間の『備後国福山領風俗問状答』によると毎年3月23日から25日にかけて「聡敏大明神祭り」が行われていたという。

1816年(文化13年)、結城12代の水野勝愛(1780-1837)は結城城(臥牛城)に結城聡敏神社を創建した(結城聡敏神社由来記)。

1923年(大正12年)『広島県史 社寺志』によると無格社とあり、東照宮を相殿神とするという。現在は福山八幡宮の境内社らしい。

(日本歴史地名大系ほか)

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