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自雲霊神信仰
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
自雲霊神信仰
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[[ファイル:宝塚本妙寺・秋山自雲霊神-03.jpeg|thumb|500px|生誕地の兵庫県宝塚市の本妙寺にある碑]] '''自雲霊神'''(じうん・れいじん)は、江戸時代の人物・'''岡田孫右衛門'''(1700-1744)のことで、痔病平癒祈願の神として信仰されている。[[日蓮宗]]の護法神の一神。'''秋山自雲'''(しゅうざんじうん)。'''秋山自雲功雄霊神'''。 岡田孫右衛門は摂津国川辺郡小浜(兵庫県宝塚市小浜)の生まれで、善兵衛といった。江戸に下り、新川の酒問屋の岡田孫右衛門に奉公する。勤勉な働きが認められて、岡田家の跡取りとなり、岡田孫右衛門の名を継いだ。熱心な日蓮宗信者で、常に題目を唱えていた。浅草[[本性寺]]の題目堂に籠もって唱題していたとも。38歳の時から痔に病み、7年間苦しんで1744年(延享1年)9月21日に死去した。没年が45歳としたら1700年(元禄13年)生まれということになる。本性寺に葬られた。'''秀山智想居士'''。(『武江年表』など) 後年、同じく痔に病んで瀕死の状態になった友人が、岡田孫右衛門が生前「もし自分が死んだら、痔に苦しみ者を救う」と誓っていたのを思い出し、祠(既に祠があった?)に祈願を続けると2カ月もせずに治ったという。これが世間に広がって信仰が集めるようになった。そして1763年(宝暦13年)9月から流行り神として急速に信仰が広がったという。(『東都歳時記』『遊歴雑記』など) 経緯は未確認だが、秋山自雲霊神、秋山自雲尊者、自雲坊と呼ばれるようになった。 『共古随筆』によれば1831年(天保2年)名古屋藩主が痔に苦しみ、家臣の勧めで祈願して平癒。[[白川家]]に頼んで「功雄」の2字を加え秋山自雲功雄霊神の号を贈られたという。同書では尾張だけでも霊神を祀る寺院が4カ所あると記す。『尾張八丈』という書に経緯が詳しく述べられているという。 白川家からの神号授与は二条斉信が信仰したためともいう。 ==一覧== *[[岡田孫右衛門墓]]:東京都台東区清川。[[法華宗本門流]][[本性寺]]内。 *[[本性寺題目堂]]:岡田孫右衛門の像も祀る。本性寺から「秋山自雲神社」の神札を出していた。 *[[旭丘神社]]:宮崎県都城市姫城町。境内社に祀られたがのちに合祀。 *東林寺:兵庫県淡路市多賀。元は[[伊弉諾神宮]]神宮寺。法華宗本門流。 *[[摂津・秋山自雲霊神塔]]:兵庫県宝塚市小浜。生誕地。法華宗本門流本妙寺の墓地にある。 その他各地に祀られている。 ==画像== <Gallery widths="300" heights="200" perrow="3"> ファイル:飛騨国分寺-22.jpeg|[[飛騨国分寺]]の秋山自雲霊神 ファイル:飛騨国分寺-23.jpeg|飛騨国分寺の秋山自雲霊神 ファイル:鳥辺山妙見宮・秋山自雲神霊.jpeg|京都の[[鳥辺山妙見宮]]の秋山自雲神霊(左の祠) </Gallery> [[category:人物旧跡]] [[category:系譜記事]]
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