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興国寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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興国寺(こうこくじ)は、和歌山県日高郡由良町にある臨済宗寺院。源実朝・後鳥羽天皇の菩提寺。臨済宗妙心寺派。心地覚心旧跡。十刹。(参考:同名寺院興国寺_(同名))
- 1219年:源実朝暗殺。葛山景倫は実朝の命で入宋のため博多(由良湊とも)にいた。
- 1219年3月:出家して願性と名乗り、実朝の菩提を弔うため高野山金剛三昧院に入った。行勇、明遍に師事。
- 1221年:願性、北条政子から地頭職を与えられた由良荘に入る
- 1227年:願性、源実朝の菩提を弔うため真言宗西方寺を創建。
- 1236年:願性、由良荘を金剛三昧院に寄進。遺髪を収めた。
- 1239年:後鳥羽院の崩御を受け、その菩提寺とする。
- 1249年:心地覚心、入宋。願性は源実朝の分骨を預けて雁蕩山に納骨を託したという。
- 1254年:願性、帰国した心地覚心を金剛三昧院から招いて開山と仰いだ。
- 1258年:心地覚心が入寺。臨済宗となる。日高地方に多数の寺院を建てた。
- 1276年4月23日:願性死去。
- 1298年:心地覚心死去。
- 1340年:元号に基づき興国寺と改称
- 1573年12月:京都を脱出した足利義昭、興国寺に入る
- 1585年:豊臣秀吉の根来攻めで焼失
- 1601年:和歌山藩主浅野幸長、海蔵寺天叔に興国寺復興を命じた。以後、妙心寺末となる。
- 1889年:妙心寺派に所属
- 1956年9月:独立。のち妙心寺派に復帰。
資料
- 1938『鷲峯余光』[1]