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興玉の森
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年12月22日 (日)
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'''興玉の森'''(おきたまのもり)は、三重県伊勢市の[[伊勢神宮]]近くにある[[興玉神]]の祭場。内宮摂社[[宇治山田神社]]に隣接する。'''上の杜'''、'''猿田彦の森'''ともいう。 | '''興玉の森'''(おきたまのもり)は、三重県伊勢市の[[伊勢神宮]]近くにある[[興玉神]]の祭場。内宮摂社[[宇治山田神社]]に隣接する。'''上の杜'''、'''猿田彦の森'''ともいう。 | ||
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かつてこの中村の地に住んでいた[[宇治土公氏]]が氏神を祀る場所だった。宇治土公氏の祖である[[猿田彦神]](興玉神)が居住した旧跡という。鎌倉時代の建久年間に書かれた『皇大神宮年中行事』によると、4月初申に祭典を行っていた。現在、小山の上に石壇がある。かつては鳥居が建てられていた。明治2年(1869)、中世以降廃絶し鎮座地が分からなくなっていた内宮摂社宇治山田神社がこの地に復興された。(猿田彦神社講本部編、昭和18年(1943)『神宮摂末社巡拝 下』) | かつてこの中村の地に住んでいた[[宇治土公氏]]が氏神を祀る場所だった。宇治土公氏の祖である[[猿田彦神]](興玉神)が居住した旧跡という。鎌倉時代の建久年間に書かれた『皇大神宮年中行事』によると、4月初申に祭典を行っていた。現在、小山の上に石壇がある。かつては鳥居が建てられていた。明治2年(1869)、中世以降廃絶し鎮座地が分からなくなっていた内宮摂社宇治山田神社がこの地に復興された。(猿田彦神社講本部編、昭和18年(1943)『神宮摂末社巡拝 下』) | ||
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2019年12月22日 (日) 時点における最新版
興玉の森(おきたまのもり)は、三重県伊勢市の伊勢神宮近くにある興玉神の祭場。内宮摂社宇治山田神社に隣接する。上の杜、猿田彦の森ともいう。
歴史
かつてこの中村の地に住んでいた宇治土公氏が氏神を祀る場所だった。宇治土公氏の祖である猿田彦神(興玉神)が居住した旧跡という。鎌倉時代の建久年間に書かれた『皇大神宮年中行事』によると、4月初申に祭典を行っていた。現在、小山の上に石壇がある。かつては鳥居が建てられていた。明治2年(1869)、中世以降廃絶し鎮座地が分からなくなっていた内宮摂社宇治山田神社がこの地に復興された。(猿田彦神社講本部編、昭和18年(1943)『神宮摂末社巡拝 下』)