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興福寺の別当を務めた門跡寺院。本尊は阿弥陀如来と大日如来(「興福寺諸堂縁起」)。廃絶。「橘御殿」とも呼ばれた。
久邇宮朝彦親王は40代一乗院門跡尊応法親王だった。
最後の門跡である応昭は、還俗し、華族に列せられ水谷川忠起となり、春日大社宮司となった。