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般舟院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
般舟院
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'''般舟院'''(はんじゅいん)は、京都府京都市上京区般舟院前町にあった[[皇室]]ゆかりの[[天台宗]]系・[[浄土宗]]系の寺院。宮中[[御黒戸]]の祭祀を担う「御黒戸四箇院」の一つで、創建から明治まで、天皇の追善を担っていた。中世、円密戒浄([[天台]]・[[真言]]・[[戒律]]・[[浄土]])の四宗兼学の寺院として発展。[[浄土宗西山派]]本山流の中心寺院の一つだったが、近世以後は[[天台宗延暦寺派]]の所属となり、2011年(平成23年)廃絶。'''般舟三昧院'''。山号は指月山。 == 歴史 == 元は伏見にあった。現在の月橋院の地という。[[伏見殿]]に付属した仏堂だったらしい。 1479年(文明11年)12月、[[後土御門天皇]]の勅願で恵篤善空を招いて創建。 1517年(永正14年)9月、後土御門天皇忌を般舟院で覚雅を導師として営む。 1535年(天文4年)1月11日に亡くなった後柏原天皇中宮の豊楽門院藤子の葬儀は、同月23日、般舟院で行われた。 同年2月18日には中陰法要が般舟院で行われたが、三鈷寺、二尊院、廬山寺の僧侶が出仕しており、皇室の追善全般が浄土宗西山派本山流により行われていた(「本山義の軌跡」)。このような経緯から御黒戸に関わるようになっていったのだろう。 天正年間、あるいは1594年(文禄3年)に千本今出川に移転。[[大歓喜寺]]の旧地を与えられたという。 1755年(宝暦5年)8月22日、遣迎院、廬山寺、般舟院、二尊院の紫衣着用が認められたらしい(八槐御記)。 1867年(慶応3年)12月28日、孝明天皇一周忌を般舟院と泉涌寺で営む。 == 伽藍 == *本堂 *[[般舟院陵]]: ==組織== ===歴代住職=== *1恵篤善空(1412-1492):廬山寺14世・二尊院13世。 ==資料== ===古典籍=== *「般舟三昧院」『古事類苑』[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1874249/215] *「般舟三昧院文書」:東山御文庫所蔵史料 *「般舟三昧院記」:「洛陽般舟三昧院記」とも。16世紀中頃。群書類従[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2559234/62][http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1879545/118] ===文献=== *川上貢1960「般舟三昧院について」『日本建築学会論文報告集』[https://doi.org/10.3130/aijsaxx.66.2.0_537] *境淳伍1995「神仏分離と般舟院」『歴史研究』403 [[category:京都府]]
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