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行願寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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開山の行円が革聖と呼ばれたので行願寺は'''革堂'''(こうどう)と呼ばれ、この名が定着している。'''一条北辺堂'''とも呼ばれた。 | 開山の行円が革聖と呼ばれたので行願寺は'''革堂'''(こうどう)と呼ばれ、この名が定着している。'''一条北辺堂'''とも呼ばれた。 | ||
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*1004年12月11日:行円が一条油小路に創建(百錬抄、日本紀略) | *1004年12月11日:行円が一条油小路に創建(百錬抄、日本紀略) | ||
*1140年:雷火で塔が焼失 | *1140年:雷火で塔が焼失 |
2023年3月21日 (火) 時点における版
行願寺(ぎょうがんじ)は、京都府京都市中京区にある観音信仰の天台宗寺院。天台宗延暦寺派。本尊は千手観音。西国三十三所観音霊場第19番札所。 開山の行円が革聖と呼ばれたので行願寺は革堂(こうどう)と呼ばれ、この名が定着している。一条北辺堂とも呼ばれた。 本尊は霊夢で賀茂神社の近くの槻樹を得て彫ったものだという(余材は善峰寺の本尊に使われたという) 戦国時代には、下京の六角堂に並んで上京の町堂として機能した。賀茂神社関連旧跡。 下御霊神社の南に位置する。 鎮宅霊符神堂がある。
歴史
- 1004年12月11日:行円が一条油小路に創建(百錬抄、日本紀略)
- 1140年:雷火で塔が焼失
- 1141炎上
- 1151炎上
- 1209焼失
- 1242炎上
- 1289焼失
- 興国炎上
- 1467応仁の乱で焼失
- 1590年:豊臣秀吉の都市計画で寺町荒神口に移転。
- 1708年:宝永の大火で焼失。現在地に移転。
- 文化年間:現在の本堂を再建
- 1864年:禁門の変で正門焼失。
境内
- 本堂:
- 鎮宅霊符神堂:
- 愛染堂:
- 寿老神堂:
- 延命地蔵菩薩:石仏祠
- 天道大日如来:石仏祠
- 石仏祠:
- 石仏祠:
- 宝篋印塔:
- 加茂明神塔:大型の石造五輪塔。現在はくり抜いた中に不動明王の石仏を祀るが新しいもの。江戸時代に鳥居が五輪塔の前にあった。
- 百体地蔵尊:
- 出世弁財天:
- 寺守社:
- 庫裡:
- 開山堂:廃絶か
資料
- 「山城行願寺鐘銘」:鎌倉遺文。1289年11月8日。
- 「行願寺修復勧進状」[1]
- 「行願寺修覆勧進状」:弘文荘待賈古書目
- 『一条革堂縁起』:1669年。妙法院宮堯恕法親王筆。
- 林宗栄「革堂行願寺平面図」[2]
- 木子幸三郎「行願寺観音堂平面図・説明」[3]
- 「西国第十九番京都草堂行願寺観音堂平面」[4]