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西来寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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当初は小丹の塩屋というところにあったが、明応の大地震の後、安濃津に移り、のち釜屋町に移った。 | 当初は小丹の塩屋というところにあったが、明応の大地震の後、安濃津に移り、のち釜屋町に移った。 | ||
慶長5年(1600)の安濃津城の戦いで、東軍が西来寺を砦としたため、戦場となり焼失。 | 慶長5年(1600)の安濃津城の戦いで、東軍が西来寺を砦としたため、戦場となり焼失。 | ||
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昭和20年、空襲で伽藍焼失。のち再建。 | 昭和20年、空襲で伽藍焼失。のち再建。 | ||
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2017年8月10日 (木) 時点における版
西来寺(さいらいじ)は、三重県津市にある真盛ゆかりの天台宗寺院。天台真盛宗別格本山。
歴史
延徳2年(1490)、真盛が安濃津の観音寺で90日の説法を行った時、請われて西来寺を創建したという。 当初は小丹の塩屋というところにあったが、明応の大地震の後、安濃津に移り、のち釜屋町に移った。 慶長5年(1600)の安濃津城の戦いで、東軍が西来寺を砦としたため、戦場となり焼失。 翌年、津藩藩主富田信高の計らいで現在地が与えられ、再建された。徳川家康の側室清雲院の帰依を得て方丈などが建てられた。 昭和20年、空襲で伽藍焼失。のち再建。 (日本歴史地名大系)