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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

西来寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年8月4日 (火)

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西来寺(さいらいじ)は、三重県津市乙部にある真盛ゆかりの天台宗寺院。本尊は阿弥陀如来天台真盛宗別格本山

目次

歴史

延徳2年(1490)、真盛が安濃津の観音寺で90日の説法を行った時、請われて西来寺を創建したという。 当初は小丹の塩屋というところにあったが、明応の大地震の後、安濃津に移り、のち釜屋町に移った。 慶長5年(1600)の安濃津城の戦いで、東軍が西来寺を砦としたため、戦場となり焼失。 翌年、津藩藩主富田信高の計らいで現在地が与えられ、再建された。徳川家康の側室清雲院の帰依を得て方丈などが建てられた。 昭和20年、空襲で伽藍焼失。のち再建。 (日本歴史地名大系)

子院

  • 普門院
  • 円解院
  • 常照院
  • 慈眼院
  • 観樹院
  • 東漸院
  • 真浄院
  • 霊樹院

組織

住職

  • 1真盛
  • 2盛算()<>:明応3年5月14日死去。
  • 3盛品()<>:大永6年9月12日死去。阿漕津に埋葬。盛品塚がある(阿漕塚の近くに現存するらしいが所在地不詳)。
  • 4光賢()<>:大永6年入寺。永禄5年5月25日死去。
  • 5真什()<>:永禄5年入寺。
  • 6真照(?-1597)<1590-1594>:西教寺10世。
  • 7真円(?-1598)<1594-1597>:西教寺11世。
  • 8盛什()<>:1597年入寺。1600年3月5日死去。
  • 9真如()<>:1600年、下野国三津台より入寺。
  • 10舜盛()<>:元和2年関東より入寺。
  • 11真道()<>:寛永16年11月12日死去。
  • 12真雄()<>:万治1年4月8日死去。
  • 13真透()<>:万治1年入寺。寛文2年2月隠退。寛文6年5月1日死去。真秀とも。
  • 真廊()<>:寛文2年、桑名仏眼院より入寺。寛文8年、西来寺を寛永寺末に転派させようとして失敗し檀家や本山と不和となり隠退となる。除歴。
  • 14秀全()<>:寛文3年、近江善通寺より入寺。藤堂家の久居築城にともない、延宝7年、西来寺の白楽院寮を久居に移して玉泉寺と称し、ここに隠退する。天和3年7月2日死去。真全。
  • 15真也()<>:延宝7年、西塔上乗院より転派転住。貞享1年、久居玉泉寺に隠退。
  • 16真鑑()<>:貞享1年5月、二尊院から転住。8月14日死去。
  • 17真〓()<>:貞享2年、相可浄土寺より転住。元禄4年4月30日、新家光明寺に隠退。〓は「王秀」。
  • 18秀含()<>:元禄4年8月24日、大清寺より入寺。
  • 19真峰()<>:元禄14年11月、山田善光寺より入寺。宝永4年4月、京都上善寺に隠退。
  • 20真龍()<>:宝永4年6月15日、来迎寺より入寺。
  • 21真洲()<>:享保4年11月14日、敦賀真禅寺より入寺。元文2年4月30日、半田高西寺に隠退。
  • 22真含()<>:元文2年11月8日、越前粟生寺より入寺。寛保3年8月15日死去。
  • 23真恒()<>:延享2年3月、近江法蓮寺より入寺。寛延3年6月11日死去。
  • 24真瑞()<>:寛延3年、近江善通寺より入寺。宝暦6年7月6日、盛安寺に隠退。
  • 25真荷()<>:宝暦6年11月26日、西塔薬王院より転派入寺。宝暦11年までに隠退。宝暦12年7月6日死去。
  • 26真陽()<>:宝暦13年4月26日、東塔北谷慈光院より転派入寺。安永7年10月15日、退任。
  • 27真融()<>:安永8年11月28日、粟生寺より入寺。天明7年5月、隠退。
  • 28真愚()<>:寛政1年11月14日、西塔西谷無量院より入寺。寛政5年12月8日死去。
  • 29真襄()<>:寛政7年2月、野村西願寺より入寺。
  • 真諦()<>:寛政10年入寺。享和2年7月、大仏御殿に帰庵。歴代に加えず。
  • 30真契()<>:享和2年7月3日、北谷栄泉院より入寺。
  • 31真阿(1786-1859)<>:声明に通じた学僧。北野天満宮社僧光乗坊能桂の子。天明6年10月25日生。魚山普賢院住職。文政10年、西来寺住職。著書に『魚山叢書』『北野文叢』など多数。安政6年8月27日死去。74歳。宗淵。
  • 32真吽()<>:嘉永2年入寺。安政2年、魚山宝光院に帰住。明治5年3月、西来寺に再住。
  • 33真念()<>:安政4年9月26日、近江法蓮寺より入寺。
  • 34小泉観海()<>:
  • 35真童(1818-1906)<1879-1892>:西教寺31世。元は山門派の僧侶で大光普照寺57世。金鑚広貫。隠退後、西来寺で死去。
  • 36真空()<>:明治26年7月5日入寺。
  • 37小泉円達()<>:明治34年2月、入寺。
  • 38真澄()<>:大正1年7月、近江観音寺より転派入寺。
  • 辻井徳順(1864-1952)<1912-1924>:山門派の僧侶。自坊は観音正寺教林坊。(「早稲田大学図書館蔵教林文庫目録稿」[1]
  • 39真恂()<>:西教寺36世。西村冏念。昭和2年8月、引接寺より入寺。昭和12年管長。
  • 40真慶()<>:西教寺38世。蛭薙詮順。
  • 41
  • 42
  • 43
  • 44砂原円譲()<>:
  • 45寺井良宣(1949-)<>:千野深光寺住職。叡山学院教授。天台真盛宗勧学。著書に『天台円頓戒思想の成立と展開』。


開山御廟 大師堂

http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%A5%BF%E6%9D%A5%E5%AF%BA」より作成

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