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覚仁親王墓
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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石塔の隣にある十三重石塔は[[福田海]]が1911年から翌年にかけて他所から移築したものという(『倉敷市史2』357頁)。 | 石塔の隣にある十三重石塔は[[福田海]]が1911年から翌年にかけて他所から移築したものという(『倉敷市史2』357頁)。 | ||
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2023年11月10日 (金) 時点における版
岡山県倉敷市児島の五流尊瀧院にある覚仁法親王の墓。皇室治定外墓。覚仁法親王は後鳥羽天皇皇子。五流尊瀧院関連旧跡。桜井塚と呼ばれる。行者池に浮かぶ小島にある。
石塔の隣にある十三重石塔は福田海が1911年から翌年にかけて他所から移築したものという(『倉敷市史2』357頁)。