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覚明入定地
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2014年8月24日 (日)
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[[覚明旧跡|覚明]]が入定した旧跡。二回目の登拝のとき、1786年(天明6年)6月20日(7月23日とも、6月23日)に頂上[[二ノ池]]にて入定。立ったままの姿で往生したという。遺骸はしばらく二ノ池湖畔に奉安されていたが、のち二ノ池より九合目の岩場に埋葬された(「[[覚明堂]]」を参照)。一説によると、登山後半年経って下山しないので村の者が観に行くと亡くなっていたとか、また普寛が登山したときに初めて遺骸が発見されたとかいう伝承もある(『村誌王滝』1629)。 | [[覚明旧跡|覚明]]が入定した旧跡。二回目の登拝のとき、1786年(天明6年)6月20日(7月23日とも、6月23日)に頂上[[二ノ池]]にて入定。立ったままの姿で往生したという。遺骸はしばらく二ノ池湖畔に奉安されていたが、のち二ノ池より九合目の岩場に埋葬された(「[[覚明堂]]」を参照)。一説によると、登山後半年経って下山しないので村の者が観に行くと亡くなっていたとか、また普寛が登山したときに初めて遺骸が発見されたとかいう伝承もある(『村誌王滝』1629)。 |
2014年8月24日 (日) 時点における最新版
覚明入定地 かくめい にゅうじょうち | |
概要 | 覚明が入定した旧跡。 |
奉斎 | 覚明 |
所在地 | 長野県木曽郡 |
所在地(旧国郡) | 信濃国筑摩郡 |
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目次 |
概要
覚明が入定した旧跡。二回目の登拝のとき、1786年(天明6年)6月20日(7月23日とも、6月23日)に頂上二ノ池にて入定。立ったままの姿で往生したという。遺骸はしばらく二ノ池湖畔に奉安されていたが、のち二ノ池より九合目の岩場に埋葬された(「覚明堂」を参照)。一説によると、登山後半年経って下山しないので村の者が観に行くと亡くなっていたとか、また普寛が登山したときに初めて遺骸が発見されたとかいう伝承もある(『村誌王滝』1629)。
画像
参考文献
- 木曽御嶽信仰#参考文献を参照。