ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
諫早神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年10月7日 (日)
(版間での差分)
1行: | 1行: | ||
- | '''諫早神社'''(いさはや・じんじゃ)は長崎県諫早市宇都町(肥前国高来郡)にある[[四面宮信仰]]の神社。祭神は[[大己貴命]]・[[少彦名命]] | + | '''諫早神社'''(いさはや・じんじゃ)は長崎県諫早市宇都町(肥前国高来郡)にある[[四面宮信仰]]の神社。祭神は[[天照大御神]]・[[大己貴命]]・[[少彦名命]]。猿田彦大神・八幡大神・天満宮・御霊宮・稲荷社・太子堂・白日別命・豊日別命・豊久土比泥別命・建日別命を配祀。[[県社]]。'''四面宮'''。'''伊佐早四面大菩薩'''。'''温泉神社'''。 |
== 歴史 == | == 歴史 == | ||
- | 728年(神亀5年) | + | 728年(神亀5年)、[[行基]]が創建。[[雲仙岳]]の[[肥前・温泉神社]]を遥拝する山麓の17社の一つとされる。 |
建長年間、西郷石見守が石祠を建て替え社殿を建て神職を置いた。 | 建長年間、西郷石見守が石祠を建て替え社殿を建て神職を置いた。 | ||
1587年(天正15年)、諫早の領主となった龍造寺家晴は諫早領の鎮守として重視し、社殿を整備。 | 1587年(天正15年)、諫早の領主となった龍造寺家晴は諫早領の鎮守として重視し、社殿を整備。 | ||
- | さらに別当として[[真言宗]]の五智光山[[ | + | さらに別当として[[真言宗]]の五智光山[[肥前・荘厳寺]]を創建した。 |
明治初年、荘厳寺廃絶。八幡宮・御霊宮・神明宮を合祀。 | 明治初年、荘厳寺廃絶。八幡宮・御霊宮・神明宮を合祀。 | ||
1872年(明治5年)、温泉神社と改称。のち諫早神社と改称した。1945年(昭和20年)3月県社。 | 1872年(明治5年)、温泉神社と改称。のち諫早神社と改称した。1945年(昭和20年)3月県社。 | ||
- | + | (日本歴史地名大系、神社ウェブサイトほか) | |
[[Category:長崎県]] | [[Category:長崎県]] |
2018年10月7日 (日) 時点における最新版
諫早神社(いさはや・じんじゃ)は長崎県諫早市宇都町(肥前国高来郡)にある四面宮信仰の神社。祭神は天照大御神・大己貴命・少彦名命。猿田彦大神・八幡大神・天満宮・御霊宮・稲荷社・太子堂・白日別命・豊日別命・豊久土比泥別命・建日別命を配祀。県社。四面宮。伊佐早四面大菩薩。温泉神社。
歴史
728年(神亀5年)、行基が創建。雲仙岳の肥前・温泉神社を遥拝する山麓の17社の一つとされる。 建長年間、西郷石見守が石祠を建て替え社殿を建て神職を置いた。 1587年(天正15年)、諫早の領主となった龍造寺家晴は諫早領の鎮守として重視し、社殿を整備。 さらに別当として真言宗の五智光山肥前・荘厳寺を創建した。 明治初年、荘厳寺廃絶。八幡宮・御霊宮・神明宮を合祀。 1872年(明治5年)、温泉神社と改称。のち諫早神社と改称した。1945年(昭和20年)3月県社。 (日本歴史地名大系、神社ウェブサイトほか)