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讃岐先賢堂
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
讃岐先賢堂
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'''先賢堂'''(せんけんどう)は香川県高松市の表誠館にあった[[祖霊社]]。戦後、[[香川・乃木神社]]に合祀された。 ==祭神== *[[神櫛王]](生没年不詳):景行天皇皇子。 *[[空海]]():真言宗開祖。讃岐出身。 *[[円珍]]():天台宗寺門派開祖。讃岐出身。 *[[菅原道真]]():天満天神。讃岐国司。 *岡田牛養(生没年不詳):奈良時代~平安時代の学者。讃岐出身。大学博士。大学で空海に『春秋左氏伝』を講義。 *松平頼恭(1711-1771):高松藩主。陸奥守山藩主松平頼貞の子。松平頼桓の養子。藩の財政の立て直しに成功し殖産興業を重視し、高松藩中興とされる。 *松平頼恕(1798-1842):高松藩主。水戸藩主徳川治紀の次男。松平頼儀の養子。天保の改革を進めて財政再建に努める。藩校講道館に聖廟を建立。『歴朝要紀』を編纂。 *松平頼纘(): *松平頼重(): *松平左近(): *松平大膳(): *柴野栗山(): *柴野平次郎(): *木内順二(): *村岡宗四郎(): *美馬援造(): *藤川将監(): *奈良専二(): *太田次郎(): *後藤弥兵衛(): *長町徳兵衛(): *長谷川速水(): *友安良介(): *生駒親正(): *西島八兵衛(): *梶原九郎右衛門(): *木村亘(): *玉楮敬造(): *松崎渋右衛門(): *長谷川宗右衛門(): *青葉士弘(): ほか ==歴史== 1911年(明治44年)、商議員会で建議され、県会と高松市会の補助金を得て1917年(大正6年)11月3日、香川県教育会の表誠館の建設と同時に創建された。設計建設は久保田富五郎。 1913年(大正2年)10月17日制定の「讃岐先賢堂規定」によって祭祀基準が定められた。創建時の祭神は51柱だった。1924年(大正13年)11月3日、松平頼恕、柴野平次郎、木内順二、村岡宗四郎、美馬援造、藤川将監、奈良専二、太田次郎の8柱を合祀。1929年(昭和4年)3月6日、松平大膳ら7柱を合祀。 1938年(昭和13年)11月15日、屋根葺き替えのため、中野天満宮に仮遷座。 1939年(昭和14年)4月22日、正遷座した。 1933年(昭和8年)の『高松市史』には66柱、1939年(昭和14年)の『香川県教育会五十年史』では73柱とある。 1945年(昭和20年)、空襲で焼失。1946年(昭和21年)に善通寺乃木神社に合祀された。 明治100年の1968年(昭和43年)にも合祀が行われた。 平成末の時点で103柱を祀る。 山口県山口市には[[防長先賢堂]]、広島県には[[郷賢祠]]がある。 ==資料== *『讃岐高松名勝図絵』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1053035/75] *『讃岐郷土研究』 *1933『高松市史』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1175621/335] *1935『讃岐先賢堂祭神小伝』 *1936「香川県教育会先賢堂祭神」『讃岐史談』1-1 *1939『香川県教育会五十年史』[https://books.google.co.jp/books?id=83w3p1dekrUC] *1939『讃岐先賢堂追祀先哲小伝』 *1961「村上源氏中院少将源雅平卿 御事績の概要 : 香川県善通寺市に鎮座讃岐宮先賢堂祭神」 *1966『新修高松市史第2巻』:一覧がある。 *「讃岐宮先賢堂と新祭神五柱」『讃岐公論』49-4 *「讃岐宮先賢堂の祭神」『讃岐公論』49-5 *「讃岐先賢堂祭神(続)」『讃岐公論』49-6 *「香川県郷土教育史研究序説」[https://www.takamatsu-u.ac.jp/wp-content/uploads/2018/11/67_UG001_001-056_mizobuchi.pdf] [[category:香川県]]
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