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軽寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年12月1日 (日)
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'''軽寺'''(かるでら)は、大和国高市郡にあった[[古代寺院]]。奈良県橿原市大軽町周辺が跡地と推定されている。本尊は[[薬師如来]](『伊呂波字類抄』)。'''加留寺'''(『伊呂波字類抄』)。'''迦留寺'''(『宝物集』光長寺本・延慶本)。 | '''軽寺'''(かるでら)は、大和国高市郡にあった[[古代寺院]]。奈良県橿原市大軽町周辺が跡地と推定されている。本尊は[[薬師如来]](『伊呂波字類抄』)。'''加留寺'''(『伊呂波字類抄』)。'''迦留寺'''(『宝物集』光長寺本・延慶本)。 | ||
『故贈僧正勤操大徳影讃并序』の'''駕龍寺'''('''駕竜寺''')、あるいは『益田池碑銘』に登場する'''龍寺'''('''竜寺''')も同一寺院か。 | 『故贈僧正勤操大徳影讃并序』の'''駕龍寺'''('''駕竜寺''')、あるいは『益田池碑銘』に登場する'''龍寺'''('''竜寺''')も同一寺院か。 | ||
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創建不詳。軽大臣が創建したという伝承もある。軽大臣とは誰かについては諸説ある。 | 創建不詳。軽大臣が創建したという伝承もある。軽大臣とは誰かについては諸説ある。 |
2019年12月1日 (日) 時点における最新版
軽寺(かるでら)は、大和国高市郡にあった古代寺院。奈良県橿原市大軽町周辺が跡地と推定されている。本尊は薬師如来(『伊呂波字類抄』)。加留寺(『伊呂波字類抄』)。迦留寺(『宝物集』光長寺本・延慶本)。 『故贈僧正勤操大徳影讃并序』の駕龍寺(駕竜寺)、あるいは『益田池碑銘』に登場する龍寺(竜寺)も同一寺院か。 関東祈祷所か。
歴史
創建不詳。軽大臣が創建したという伝承もある。軽大臣とは誰かについては諸説ある。 史料上の初出は『日本書紀』686年(朱鳥1年)8月条で、檜隈寺・大窪寺と共に軽寺に封戸100戸を施入とある。1007年(寛弘4年)8月5日、藤原道長が宿泊した(御堂関白記)。
大軽・春日神社・浄土宗法輪寺の周辺から白鳳時代の瓦が出土しており、寺跡という見方がある。 また春日神社は応神天皇の軽島豊明宮跡とも言う。